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【本当の優しさ】   つげの実アパート 礒田

2010年04月03日 | つげの実アパート

以前の話です。
ある入居者さんと一緒にコンビニで買い物をしていました。
昼食時の買い物だったと思います。自分の食べたいものを自分の足で店まで行き、自分で選び購入する。この方にとっては、段々と難しくなってきているときでした。
私たちの感覚からすると、とても時間がかかります。すると店員の方が「かわいそうだよ、若い者がやってあげなさいよ」という内容のことを言いました。果たして「かわいそう」なことなのでしょうか?
この内容は、うちの法人で働く上で必ず考えないといけない問題です(笑)
介護保険法に基づくグループホーム(指定認知症対応型共同生活介護)の基本方針では、『要介護者であって認知症状態にあるものについて、共同生活住居において、家庭的な環境と地域住民との交流の下で 入浴、排泄、食事等の介護、その他の日常生活上の世話及び機能訓練を行うことにより、利用者がその有する能力に応じ自立した日常生活を営むことができることを目指すものでなければならない。』とされています。いわゆる『自立支援』です。
例えば、足を骨折して入院、車椅子を使用した生活になりました。当然、足の筋力が低下します。そして退院後、元の生活へ戻るには筋力をつけるためにリハビリをすることになりますが、ジムのような設備の整った環境でリハビリをするのではなく、それを日常生活の中で工夫して取り入れていくのがグループホームの環境になります。
具体的には、足の筋力低下なら歩く場面を増やす、階段の上り下りをする場面を多く作る・・・といっても「やってください」「はいわかりました」とはいきませんからいろいろとスタッフは工夫するわけです。何かを忘れたフリをして取りに行ってもらう・・・(迫真の演技で仮病を使うと、皆さん心配して手伝ってくれたりします)でも同じ手段はそう通用しません。選手交代で違うスタッフが別の方法を試みます・・・家庭的でゆったりしたようにみえるグループホームの生活の水面下で実は、スタッフの汗と涙の努力があるのです。
階段を上り下りさせられる入居者さんは、そのときにそれをするかしないかで先の生活が変わってしまうのです。
その先を筋力低下のまま車椅子生活で過ごすのか(もう二度と歩けなくなるかもしれません)、自分の足で自立した生活を送れるのか?自分に置き換えるとどうでしょうか?
介護と称して何かを手伝う、代行することは実は簡単なことです。早く物事が進みますし、そのときは感謝されたりします。でもその人の『有する能力を奪う行為』になることを周知していただきたいと思います。
同時に有する能力を維持させる為には、何らかの努力が必要になります。すると、嫌な役回りに徹しないといけない場面も出てくるわけです。スタッフには精神的な強さも求められるのです。
本当の優しさとは何でしょうか・・・いつも考えてしまいます。
自立支援という名目はあるものの、ふと疑問を感じることもあります。それは自分の中での逃げ道になっている場合もあったりしますので、自問自答は繰り返し続きます・・・
いろんな形で支援する側はもちろん、いつも見守ってくださる方々にもあらためて考えるきっかけになれば幸いです。

15:07 | Posted by admin

【「ポンコツになりつつも・・・」―セルフ・ケア(自分でケアする・自分をケアする)について―】 とちの実 佐久間

2010年03月23日 | とちの実

長く福祉職をしていて、利用者もだんだんと加齢してくるのですが、当然に自分自身も加齢してきて、身体能力が徐々にですが低下してきます。かつてのように、タバコをバンバン吸って、酒でメートルをあげて、腹いっぱいご飯を食べてエネルギーを補給し、残業と休日出勤も辞さないでガンガン仕事をこなしていくということが出来なくなってきたことで自ずと自覚せざるをえないようです。
タバコを吸い続けることくらいは、実にささやかな欲望であると思い、確信的に吸い続けていたんですが、職業遂行上どうしても注意力が散漫になってしまうのと疲れやすくなるのでタバコは断ちました。学生時代から文筆が嫌いでなく、「チェーンスモーク状態でないといい文章は書けないのだ!」と豪語していたんですが、吸わなければ吸わないなりに文章は出来上がります。酒については、もともと体質的に飲んだ翌日は疲労感が激しくともなうので、次第に執着が無くなり、飲んでも年に2~3回でしかもビールをコップに半分といったところとなりました。また、最近はやりのノンアルコールビールでも気分は満足ですし、アルコール分1%以下のホッピー(原液のみ)という飲み物で酔って顔を赤らめてしまったりしています(これは体質が敏感になってきているということだと思います)。食欲については、非番で食べないときは、一日一食でもokで、食べ過ぎないようにして、夜もさっさと早寝してしまうと翌日は、至って体の調子もよく気分も最高という具合です。昨年の夏には、心臓の不整脈が悪化してしまいカテーテル・アブレーション(焼灼術)という手術をしたので、勤務上は自分の守備範囲をしっかり確実にしておきたいというところです。
これらのことは、自分への負荷を減少させたということで、普通に当たり前に言われていることをバカにしないで行っている、そういう現況にあるということです。
その一方で、積極的には、自分へのケアにあてる時間を大幅に増やしています。柱としては、ストレッチ体操を行なっています。腰痛対策は、ほぼ自分でコントロールできるようになり、このことが自分の精神的なコントロールに多大に良く影響しています(この件については、すでに以前に「どっこいしょ」に書いているのではしょります)。休日の朝は、走ったり歩いたりしながら3kmほどながします。体が温まって、一日過ごすエンジンがかかります。それと、ややお腹が張りやすく排便間隔が開いてくる傾向が出てきたんですが、これは、今までお年寄りのお腹の状態をケアしてきた経験を生かして、前夜から休日にかけて、腹部マッサージで大腸の中の便を送りながら、排便を促します。
お薬は使わなくてもコントロールは良好です。今年にはいって20年来の痔(軽いものだったんですが)が治ってきたのは意外なことでした。
あと、寝る前の歯のケアに時間をかけています。美味しいものを、おいしく食べられるという当たり前のレベルの幸福は大事にしているということです。かかりつけの歯医者の指導が厳しいというのもあります。口の中の衛生を保つというのは、なかなか面倒なことですが、「ピンポイントで磨ける歯ブラシ」というのがあって、それが使えるようになると、格段にいい状態で歯磨きができるようになります。以前に比して、歯茎の痛みもなくなり、歯茎も引き締まり、歯もつるつるで気分がよいものです。研磨剤の入ったねりハミガキは使わずに、うがいにも使う薬用マウスウォッシュ液を薄めて歯磨きにつかうという指導を受けていますのでそのとおりにしています。
入院して手術をするというようなことは、自分で行うセルフ・ケアの限界を知らしめてくれるいい機会で、他人による、医学的な、外科的療法によるケアということです。が、そのことで、自分の体をより大切にするということの重大性が改めて認識されるといえます。せっかく手術までしたのだから、という気持ちも出てきます。
自分の体の状態をコントロールできるということ、そのことは、自分の精神の状態をコントロールできるということでもあります。福祉職は、おとしよりである利用者の体や精神の状態をコントロールすること=最善の状態を維持していくことが仕事を遂行していく大きな基底をなしているのですが、それを続けることで、自分自身のケアにもその経験がとても役立つということです。コントロールされるというとなんだか胡散臭いと受け取る方もいますが、人間は、野生の極北の世界で自給自足の生活しているのでもないかぎり、所詮は、多かれ少なかれ他人や社会にコントロールされて生きているのであって、選択の仕方と自覚の度合いの問題です。他人の意見を受け入れる人=他人の力をあてにできる=協力しながら生きられる、という繋がりのことです。身体的にも知的にも、能力の低下した利用者を支える方法が、自分自身の生きる知恵に繋がるということです。
人間は、機械のように、壊れたところを交換すればケア終了という単純なものではありません。また、機械のように存在する目的が決定されているのでもありません。ですから、自分のケアの仕方をよく考えることで、また、自分の体や精神状態を維持する方法を通じて、利用者の心の状態もふくめたケアの仕方をよりよく発見できるのだといえると考えています。そういう意味で、グループホームで学んだことを活用して、セルフ・ケアで自分に学び、利用者に再度還していきたいです。

10:27 | Posted by admin

【夜勤での出来事】 つげの実 久能

2010年03月10日 | つげの実

冬季オリンピックの話題でもちきりですが、皆様はいかがでしょうか?
昨夏の北京、その前のアテネ、次のロンドンと出てきますが人一倍厚着で寒がりな私は見ているだけで凍ってきます。
先日、夜勤の時の話になりますが。
ある入居者様が、動揺しながら不安を口にして居室から出てこられました。
あまりそのような事がない方なので、落着かれるまでとても心配でしたが不安な理由を尋ねると、「妻がそこの駅に着ているから迎えにいかなければ・・」とおっしゃいました。普段からとても優しい方なので瞬時に奥様をお迎えに行かれる微笑ましい映像が頭に飛び込
んだのと、その方の口から妻という言葉を初めて聞いた事にとても嬉しく思いました。
つげの実での勤務はあっとゆう間の一年が過ぎスタッフ、入居者様の入れ替えがありました。私自身少しは余裕がでてきたと甘えずにステップアップしていかなければならないと感じています。

10:22 | Posted by admin

【真実の言葉】   つげの実アパート 礒田

2010年03月03日 | つげの実アパート

以前の話です。
ある入居者さんと一緒にコンビニで買い物をしていました。昼食時の買い物だったと思います。
自分の食べたいものを自分の足で店まで行き、自分で選び購入する。この方にとっては、段々と難しくなってきているときでした。私たちの感覚からすると、とても時間がかかります。
すると店員の方が「かわいそうだよ、若い者がやってあげなさいよ」という内容のことを言いました。
そのときはゆっくり説明もできず、後日この“どっこいしょ”を持参しましたが、直接その店員の方が読まれたかどうかは分かりません・・・
私たちは、ある場面を切り取って見てみると『強者と弱者』に映るでしょう。
それも事実です。でも逆転することもしばしばです!!
そして同じ人間同士としてぶつかり合い、共に許し励ましあい 笑ったあとにきこえてくる『真実の言葉』というものがあります。この言葉にふれた時、何か次元を超えたものからのメッセージとも私には感じられるのです。
『強者と弱者』あるいは『介護する側とされる側』を超える関係を築く・・・
実は、病みつきになるのですよ(笑) ねぇ、スタッフの皆さん?!

15:07 | Posted by admin

【貴重な時間】 とちの実 村松

2010年02月23日 | とちの実

2010年が無事明けました。
明けたと同時にハイチの大震災や日本では現職議員の逮捕やら大きな事件が続いています。大震災といったら忘れてはならない「阪神・淡路大震災」から15年が経ちました。
あの日の朝のニュースをつけて衝撃が走りました。高速道路が崩落してバスが今にも落ちそうな状態・・いたるところで火災が発生していました。どこかの国の出来事のような、同じ日本で起こったこととは瞬時に思えなかったことをよく覚えています。
歴史をさかのぼること、大正12年9月1日「関東大震災」がありました。とちの実の入居者さんでは4名の方々がこの震災よりも前にお生まれです。この中で被災している方は実際何名いるかわかりませんが、その後日本は他国と戦争へと時代が移り変わっていきます。9名全員の方々がこの戦争の中、生き抜いてきました。言葉では言い表せないですが、激動の中大変な日々を生き抜いてきたことだと思います(大変と軽々しく表現してすみません)。
そして今年のお正月も、この頼もしい入居者さん9名と揃って元気で迎えることが出来ました。
何とも有難く一緒に元旦を過ごして、お節やお雑煮を食べてお正月気分を堪能させていただきました。ご利益がありそうです。月に20日ほど一緒に過ごさせていただいているのですが、改めて今日、すご
い人たちと一緒に過ごしているんだなぁと感じました。こんな不束者ですが、今年もどうぞよろしくお願い致します。

10:26 | Posted by admin

【あれよあれよと言う間に・・・。】 つげの実 宮松

2010年02月10日 | つげの実

つげの実にお世話になりましてはや9ヶ月という微妙な月日が流れました。いまだに毎日が必死です。ここは冷静に、冷静にと思っても自然とあせってしまってフワフワしてる自分がいます。(前職での締め日に追われていた仕事をしていたなごりが残っているのでしょうか。) そういう時は、一緒に組んでいるスタッフやパートさんなどの対応をみて落ち着くようにしています。いつも助けられております。この場をお借りしてつげの実のみなさんどうもありがとうございます。時々わたくしの熱い視線を感じることがあっても気にしないで下さい。(笑)
話は変わって私は今年、40歳の大台にのります。40越えると体力の衰えが激しくよりいっそう体にガタがくると聞くので、今年の年初めの目標が、体力強化!なのですが勤務の前とかに軽くストレッチや、体操とかしたほうがいいのかなーと。入居者様のKさんがいつも楽しそうにやっているラジオ体操でも一緒にやろうかしら・・・。

10:22 | Posted by admin

【シンクロニシティ】   つげの実アパート 礒田

2010年02月03日 | つげの実アパート

『シンクロニシティ』とは、スイスの精神科医・心理学者であるカール・グスタフ・ユング(1875年~1961年)がつくった言葉で、直訳すると『共時性原理』、“意味のある偶然の一致”のことです。
噂話をしていたら偶然出会ったとか、夢に出てきた人から電話がかかってくるなど・・・誰でも不思議な偶然を体験されていると思いますが、私は結構この『シンクロ二シティ』が起こります。(思い込み?)
実は、前回のどっこいしょの記事でシンクロがありました。
ひとつは、イソップ物語。昨年のクリスマス 私の母親から娘にプレゼントが送られてきました。それがイソップ物語の絵本で、ちょうど『北風と太陽』からお話が始まります。いつも何かにつけて思い出す話ではありますが、ちょうど読んだばかりで ハッとしました。(『アリとキリギリス』もありました。)
そしてもうひとつは、『奇跡のリンゴ』著者である木村秋則さんの話。私は木村さんの『すべては宇宙の采配』『リンゴが教えてくれたこと』を読み、食物について見直すきっかけになりました。前回のどっこいしょに「身体の感覚」と題して書かせてもらったのも実はこの流れもあります。
私たちは知らない間に“自然”とはかけ離れた生活をしています。毎日食べている物ひとつとっても不自然な物があまりに多いことに驚かされます。便利さ優先でつい私も食べてしまいますが;インスタント食品は明らかに体に悪いイメージがあります。植物である野菜や果物は自然で体に良いイメージがありましたが、実は種から人工的で(F1種と呼ばれている) 化学肥料や農薬が使用されているものがほとんどだということと(有機と謳われていても農薬が使用されているものが多い) 本当に自然で安全な食物が、これだけ物があふれている世の中なのに手に入りにくい現状に悲しくなります。
リンゴの世界でも農薬を使用するのが当たり前。逆に農薬を使用していないリンゴは市場では販売していない。
だから『奇跡』なのですね。(減農薬はあります)
子供のこともあり、いろいろ調べた結果、私は木村さんの『自然栽培』(農薬も肥料も使用しない)に行き着き、自然栽培で育てたものを食べてみたいという思いになりました。残念ながら木村さんのリンゴは入手不可能でしたが;;
現在、青森県の自然栽培を扱っている八百屋さんより月に1~2回取り寄せています。(興味のある方は『とわだ自然栽培研究所』で検索してみてください)
よく入居者の方が「最近の野菜は味が違うわね」と言っていたのを思い出します。
ユングは『集合的無意識』の存在を提唱したことでも有名ですが、“私たちの意識の世界は深いところで繋がっていて連動している”・・・世代を超えた 入居者の方々との生活を共にしていると「そうかもしれない」と実感したことのひとつです。
当たり前に流れていく生活の中、ふと立ち止まって少し意識してみると 違った風景がみえてくるかもしれません。皆さんはシンクロ体験ありますか??

15:07 | Posted by admin

【昨年はありがとうございました】 とちの実 三上

2010年01月23日 | とちの実

明けましておめでとうございます。
原稿を書いている本日はまだ2009年の12月なのですが、皆様のお手元に通信が届く頃はたぶん年が明けているかと思いまして新年の挨拶とさせていただきます。
私は昨年の今時期も同じような内容の原稿を書いているのですが確か去年はインフルエンザの話題を書いていたと思いました。
今のところ入居者の皆さんやスタッフもなんとかインフルエンザにかからずにこのまま冬を乗り切りれそうな感じですが、まだまだ油断は禁物といったところです。
一年を振り返ると、とちの実にとっても私個人としても、別れと出会いの年でもありました。
6月にKさんが病気で亡くなり、その数ヶ月後Iさんが入居されました。Sさんもとても素敵な方でしたがIさんも本当に素敵な方です。Iさんも今となってはとちの実になくてはならない存在になりました。入院をされた方もいましたが今は無事に戻られて元気にお過ごしになっています。無事に退院できて本当に良かったと思っています。
いろいろあった一年ではありましたが全員で無事にお正月を迎えることができそうなのでホッっと一安心といいますか・・本当に嬉しく思います。
また、ご近所の皆様、習い事の先生や生徒の皆様、クリニックの先生方、買い物先での店員の皆様、福祉事務所や消防署の皆様にも本当にお世話になりました。その中でも防犯パトロールはSさんの楽しみの一つで、パトロールから帰ってくると楽しそうに内容を話してくれす。その嬉しそうに話してくれる表情を見るとご近所の皆様に本当に良くしていただいているのが伝わってきます。他の入居者の方もどっこいしょを配りに行く時にご近所の方から優しく声をかけていただいたり、運営推進会議にも参加していただき本当にありがとうございます。運営推進会議はご近所の方のお話を聞くことができる貴重な機会ととても勉強になります。
習い事の先生方や生徒さんにも本当に親切にしていただいて、Yさんも楽しく習い事が続けられるのは皆様にとても親切にしていただいているおかげだと感謝しています。
買い物先でもいつも店員の皆様に笑顔で声をかけていただけるのが有難く、心温まるひと時でもあります。皆様いつも本当にありがとうございます今年もまたお世話になりますがどうぞよろしくお願い致します。
どうか皆様の心に喜び溢れる一年となりますように。

10:25 | Posted by admin

【イソップ童話の魅力】 つげの実 蔵田

2010年01月10日 | つげの実

イソップ物語の童話に「北風と太陽」というものがあります。
これは、ご存知のかたも多いかと思いますが、北風が太陽に力自慢の話をして北風が「ぼくは、どんなものでも簡単にふきとばすことができる。世界で一番強いのはぼくだ。」と太陽にいいます。
でも太陽は「きみはたしかに力持ちだけど一番っていうのはどうかな」ということになりふたりは力くらべをすることになります。
対象は、ハイキングをしていた一人の旅人で、着ている服を脱がしたほうが勝ちということになります。
まず、北風が力いっぱい風を吹きかけ旅人の服を脱がそうとしますが、服を脱ぐどころか「さむい、さむい」といって持っていたコートをまといはじめました。
北風はなおも強い風を吹きかけますが、いっこうに脱ぐことはなく、北風は諦めました。
次は太陽の番で太陽はさんさんとした輝きを見せ、あたりをみるみるうちに暖かくしていきました。そうすると、旅人は暑さのあまり着ていた服を全部自分から脱いで、近くに流れていた川に飛び込んで水浴びをしたという物語です。
結果は、太陽の圧勝ですが、旅人は、暑いということを自分自身で感じて納得して服を脱いだということです。
北風には、力はあるのかもしれませんが、心はありませんでした。
太陽のほうは、結果的には力はあったのかもしれませんが、そのプロセスの中で心の暖かさというものを感じます。
この場合はどうしたら気持ちよく服を脱いでくれるだろうという心の温かさです。
イソップ物語の童話には物語を通じていろいろな教訓のようなものを伝え教えてくれているとおもいます。「アリとキリギリス」だったら遊んでばかりではいけない、この「北風と太陽」では人は納得しないと行動はおこさないということだと思います。
納得、という気持ちができるまでには、まずは相手を自分を認める、受け入れるということからはじまっているのではないかと感じてます。
最後になりましたが、今年もどうぞよろしくおねがいいたします。

10:21 | Posted by admin

【身体の感覚】   つげの実アパート 礒田

2010年01月03日 | つげの実アパート

普段 入居者の方々と接していると、老化に伴って身体が衰えていくということをあらためて感じます。少し油断すると猛スピードで筋力低下がみられたり、反射の感覚が鈍るということを体現されています。同時にふと思うのですが、私たちの世代が高齢者世代になる頃には、もっと身体的に脆くなっているのではないか・・・と。
一緒に階段を上っていても息切れしているのは私の方だったりします(汗)
身体能力もさることながら、身体の感覚としても行く末を案じます。昔の人より人間の五感を今はあまり使わなくなってきているのではないでしょうか。
ある方が、冷蔵庫の中でしばらく眠らせておいた食品がありました。食べられるのかどうか確認する際、私は賞味期限の表示をチェックします。その方はまず目で見て、臭いを嗅いで、少し味見をしました。どこまで見えているかなどは別として、身体を如何に使っていないかがこの差に象徴されています。
現在では、数字や言葉の情報を頼りに世界が動いています。何かの商品を売るためにこんなに効果がありましたとグラフや数値化してみせる。その人自身の信用として財産はいくらと数値で示す・・・言葉や数値化された情報で問題を解決していくことは単純に時間が短縮されて便利なのかもしれませんが、逆に偏った操作もしやすいですよね。昨今の偽装問題は記憶に新しいところです。
自然界の生物でもある人間本来の感覚が失われていくのはどうなのでしょうか?これもある意味進化と呼ぶべきなのでしょうか?!
でもやはり私は『介護度いくつのだれそれさん』という情報ばかりに気をとられずに、その人を私自身の感覚を使って感じたいと思います。

15:05 | Posted by admin