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僕がぶなの実で働き始めてもうすぐ1年です。前回どっこいしょを書いた時よりはだいぶグループホームについて理解できたような気がします。この約一年間入居者の皆様を見てきて、1人1人の出来る能力の違いや、出来ない事、好きな事に、嫌いな事など、その人がどんな風な人生を歩んできたのかを考えてみたりして日々過ごしています。

2011年09月03日 | ぶなの実::ぶなの実3F

ある日、ぶなの実で「軍隊式」とIさんが口にしました。「私は軍隊しか知りませんから、喝を入れなきゃいけない時にはもう・・・恐いですよ」。Iさんは何を怒っているか。「○○さん(入居者さん)が最近寝てばかりで△△さん(職員)の言う事を全然聞かないんです。だから、喝を入れて・・・。昔の軍隊式と言ったら、ビンタなんてものは当たり前ですよ」それから深呼吸して困った顔をしました。「私は軍隊式でやってきましたから、つい、こう、カーっとなってしまうのです。それがもう、自分でも嫌で嫌で・・・」。私は「軍隊式って恐いのですね」と正直な感想を言いました。Iさんは私の目を見て、「いやでもね、軍隊ってのは愛があるんですよ。日本で戦争が始まる前のビンタってのはただ痛いだけでした。恐いだけでした。でも、戦争が始まってからのビンタというのは、愛があったんです。戦場で、味方同士が生きるか死ぬか、ドンパチやってるんです。そんなところで、暴力を振るってたら死んじゃいますよ。どうしても、相手に、味方に、わかってほしい時に、ビンタをして喝を入れるんです。愛があるんです」。
私はふと学生の頃を思い出しました。中学の頃、とっても恐い体育の先生がいました。春になると体育祭で組体操をやらされます。「お前ら、この組体操で失敗したら怪我をするんだ。転んで怪我をするんじゃない。俺からハンドマイクを投げつけられて怪我をするんだ」。今考えてみると、とんでもない話です。もちろん何人も、転んだり倒れたり、何度も失敗。しかし、いつになってもハンドマイクは飛んできませんでした。それどころか先生は「頑張れ」と励まします。私はIさんの「軍隊式」の話を聞いた時に、この組体操のことが何となくわかった気がしました。マイクを投げつけるというのは大嘘で、「組体操は危険だから、集中してやらないと怪我するぞ」ということを、その先生なりに考えて、そんな言い方になったのではないでしょうか。中学生くらいでは、「集中しないと怪我するぞ」なんて言われてもふざけてしまう生徒もいるでしょう。だから、「マイクを投げつける」とわざと恐く、おどかすように言ったのではないかと、合点がいきました(真相はわかりませんが)。
何が愛なのか、何が平和なのか、どちらにしても軍隊式というのは、私にとっては未知のもので、話を聞けば聞くほど、興味深くなります。
「それでIさん、本当にビンタするんですか?」私が笑いながら聞くと、「いやぁ、こんな時代にビンタしたら怒られちゃいますよ」とIさんも笑うのでした。

15:50 | Posted by admin

【ことば】   ぶなの実1F 吉田

2011年08月03日 | ぶなの実::ぶなの実1F

こんにちは、ぶなの実の吉田です。
最近色々と「ことば」について考えることが多いので、今回はこれについて書いてみたいと思います。
言葉とは人間の持っている伝達技法の代表ですが、これが厄介なものでして、真意が伝わらなかったり、誤解を与えたり、相手を傷つけたりと、暴力の道具にもなってしまうんですよね。
しかも、こういう言葉は無意識で言っていることが多く、発言した本人は発言自体も忘れていることが多いです。
私がぶなの実で働き始めてから、誰かにたいして酷いことを言ったという自覚があるのは、たったの一回、そして酷いことを言われたと感じたのも一回だけです。
先日、ある同僚に「あの時の言葉に対して蟠りがある」と言うようなことを打ち明けられました。
打ち明けられた内容は自分の意図していることとは全く違った誤解だったのですが、このことで同僚は、数日間モヤモヤしてしまったわけです。30分ほど話し合って解決したのですが、こういったことは皆さんも経験あると思います。
自分に自覚のない言葉の暴力…これがやっかいなんですね…
そういえば、自覚している一回についても謝ってないことを思い出しました。
そして、酷いことを言われたと自覚していることについては、相手に伝えてもいません。後者に関しては、働き始めた当初のことで今更言っても覚えていないでしょうから、このまましまっておこうと思っていますが、前者については謝っておかんとなぁと思います。
そしてこれは、日ごろの入居者さんへの支援中の言葉も同様です。入居者の方は、翌日や数時間後には覚えていないかもしれません。でも言われた瞬間は確実に傷ついたり、疑問を持ったりしているはずです。そんなことに気をつけながら、日々ことばを選んでいかなくてはなぁと思った今日この頃でした。

15:49 | Posted by admin

【入居者さんからの一言】   ぶなの実3F 畑山

2011年08月03日 | ぶなの実::ぶなの実3F

3月11日のあの日は一生忘れる事できません。
東日本大震災!!とても恐怖を感じて涙ぐみながら身体を震わせている自分がいました。
その日は出勤で入居者さん9入をスタッフ2人で見守りをしていました。
Tさんは4階のお部屋で静養中でした。Yさんは4階のお部屋にいました。Sさん、Nさんは3階のお部屋で横になって寝ていました。そのほか5名は3階のリビングで座っていました。スタッフ2名はリビングにいて徐々に大きくなる揺れに怯えていました。
入居者さんに物が落ちないようにとか、不安にさせないようにとかを考えすぎ、目から涙が溢れそうでした。
食器棚から食器が飛び出しそうだし、自分は食器棚が倒れて来ないように半分腰を抜かしながら押さえてました。
無我夢中になっている時に入居者さんから言われた一言「大丈夫だから落ちついて。」
すごく嬉しく思わず抱きついてしまいました。
入居者さんを守るつもりが、私自信が皆に支えられました。
今でもIさんは私に「あの地震の日は手の色が真っ青になっているくらい必死で食器棚を押さえていたのがたいしたもんだなあと思ったよ。皆を守ろうとしたのがすごいよ。」と言われます。
あの日はすごく怖かったけど皆無事で本当によかったと思います。私は入居者さんからたくさん学んだり助けてもらったりして日々自分自身成長しています。

15:49 | Posted by admin

【東京での生活2】   ぶなの実1F 鈴木(勇)

2011年07月03日 | ぶなの実::ぶなの実1F

こんにちは、ぶなの実の鈴木勇一です。
どっこいしょの記事を書かせて頂くのは今回で2回目になります。
私が東京に住みはじめ、10ヶ月経ちました。
シェアハウスにまだまだ居座っています。
今年に入り退去と入居が続き、シェアハウスの住人が変わりました。今は住人が20名から16名になり、その中で新しい人は6人です。
元お巡りさん、ギターの人、IT、元チャリダー(今は公務員)、ブラジル系デザイナー、めちゃめちゃ人見知りの男性(見かける確率がイリオモテヤマネコ並)が新しいです。みなさんそこそこ面白いです。
私自身、仲良くしていた学生の子が就職の為、別の所に移り住むことになり、つまらないな~と思い、朝の太極拳、少し流行りのエクササイズのカーヴィーダンス、寝る前のリンパマッサージと瞑想を繰り返す毎日でしたが、4月頃からまた楽しくなってきました。
私と同時期に住んでいる関西から来た女性(Nさん)と遊ぶようになり、毎週のように何かしらのイベントを行うようになったからです。
特にリーダーがいない中、Nさんと元チャリダーさんと私の3人でたこ焼きパーティーを始めてみた所、その日の内に参加者が3人から6人になりました。
そこから餃子パーティー、カレーパーティー、お好み焼きパティー、みんなでカラオケへ行こう!秋葉行こう!池袋ででかいパフェを食べよう!談話室とキッチンの大掃除を行い、参加人数が増えてきました。
今は富士急、コストコ、高尾山と新宿2丁目に行きたいね!と話しています。
今、こうして生活しているのが充実した生活を送れているのだな…って感じています。そしてNさんと一緒の行動が多く、目をつけていた、大量買い八百屋、隣駅の商店街まで足を運ぶようになり、未知のお店に行くようになりました。大きな収穫は「コラーゲン入り調整豆乳1000ml」を100円で売っているお店は発見したことです。
豆乳を飲む私にとってこれは嬉しいことです。
毎日のようにミキサーを使用して、「今日は冷凍イチゴと蜂蜜を入れて豆乳イチゴスムージーを作ろうかな?」とか「豆乳でビシソワーズを作れるかな?」と考えるのが楽しいです。
グループホームとシェアハウスは作りが似ている所があり、リビングやキッチンやトイレなどの共同スペースがありますし、部屋は共同の部屋もありますが、ほとんどが個室だし、「おはようございます」、「いってきます」、「いってらっしゃい」、「ただいま」、「おかえりなさい」という言葉が行き交います。
私は「ただいま」と言える場所が3つあります。
1つは実家へ帰った時の「ただいま」、2つ目はシェアハウスへ帰った時の「ただいま」、3つ目はぶなの実へ出勤時の「ただいま」です。
出勤時に「ただいま」っていうのも変だし、ぶなの実に住んでいるわけでもないのに「ただいま」っていうのもおかしなことなのですが、ぶなの実の扉を開け、「こんにちは」と言うと、「おかえり」という言葉が返ってきます。
私は「今日は夜勤でこれから出勤ですよ~」と言いますが、「おかえり」と笑顔で言われると「ただいま」と言いたくなります。実際にはまだ出勤時に「ただいま」と言ったことがありませんが、今度言ってみようかな?と思います。

15:48 | Posted by admin

【新人】   ぶなの実3F 小原

2011年07月03日 | ぶなの実::ぶなの実3F

はじめまして、4月より入社しました新人の小原です。
私は介護の仕事の経験が無く入りましたので、全く右も左もわからずまだまだ暗中模索をしているところです。
前職は直接人と関わる仕事ではなかった為、日々、人と関わり合う事は嬉しくもあり、難しさを感じるところでもあります。
先日利用者のFさんが「仕事にはもう慣れた?」と声をかけて下さいました。自分が思っている以上に気を遣って頂いているのだなと思う瞬間でした。
最近仕事をしていて思うのは客観的な事実が正しいとは限らないという事です。
例えばある人が、「今日は出かけた」「さっき、おやつを食べた」と言っていて、実は本当は逆の事(出かけていない・食べていない)でも、その人がそう思っているなら、それがその人にとって事実になり得ます。
これは僕が一人で考えていてもわからず、その人が思っている事情を私に信頼して話して頂けたらわかります。いつまでも話してもらえなかったら、そのままで終ってしまいます。
私が入ってからずっと車椅子の生活だったNさんが、最近ついに手すりに掴まりながら歩いていました。
ジャガイモの皮を剥くようになりました。
人の回復力をみて、感嘆の声をもらしました。しかしながら思うことがあります。もしかしたらとっくに歩ける様になっていたのかも…と。
人は一人一人考え方は違います。相手が思っていることを自分は勝手に別の解釈で思い込んでいる部分があるかもしれません。考えても正しい結論はその人にしかありませんが、それは何であるか考え続けその人の必要である事実を捉えていきたいと考えております。
これからよろしくお願い致します。

15:48 | Posted by admin

【日本に来てよかった。】   ぶなの実3F ジョン

2011年06月03日 | ぶなの実::ぶなの実3F

こんにちは。 韓国から参りました。ジョンジンジュと申します。 名字がジョン、名前がジンジュです。
高校の時から日本のドラマやショープログラムを見ながら日本に関心を持つようになりました。その関心がますます大きくなって日本で住みながら新しい経験をしたくて、ワーキングホリデービザを取って現在日本で生活しています。(ワーキングホリデービザは1年間日本で働きながら日本文化体験ができるビザです)
韓国の大学で社会福祉を専攻して私の専攻に役に立つ事をしたいと考えて、日本で社会福祉の方で仕事を探し始めました。日本へ来て、3ヶ月以内に仕事を探すことができなければ、そのまま韓国に帰ると心に決めていた2ヶ月目にぶなの実に採用されて、ぶなの実の家族になりました。それから、3ヶ月が経ちました。
会社でも外国人の採用は初めてだったそうで、日本語が上手じゃない外国人である私を採用してくれたということに本当にありがたいとともに、日本語を上手にならなくてはいけないなという負担もあり、心配が大きかったです。
日本語がうまく出来ないのに入居者さんと意思疎通が果してよくできるか・・・。 職員さんたちとの意思疎通はどのようにするか・・・。私が今、しっかり話しているのか・・・。 私の話が相手によく伝わっているのか・・・。自分自身の日本語の実力に対して心配がたくさんありました。
しかし、優しい入居者さんたちと職員さんたちのおかげで少しずつ適応している最中です。
意思伝逹においてよくできなくて息苦しくてその心をIさんに見せたことがありました。
Iさんに 「私の日本語、おかしいですか?私が日本語で話せば相手が分かってくれません」と言ったら、Iさんは「全然おかしくない。自信を持って話して! 私は日本語が上手だと考えながら上手な振りをして!相手がよく聞き分けなければあなたが韓国語勉強しなさいと言って!」とアドバイスして下さいました。真剣に相談に乗って下さったIさんの話に大きな勇気と励ましを受けました。
最初の頃は、私に「あなた誰? 」と入居者さんが聞いていましたが、今は「あなた韓国人?」と私の存在を覚えて下さり、「ジョンちゃん」と親しく呼んで下さる入居者さんもいらっしゃって楽しく仕事をしています。
日本に大震災があった後、一緒に暮していたルームメイトや日本に住んでいた韓国人の友達が全員、韓国に帰ってしまい、私は一人になってしまいました。
韓国にいる両親と友達は毎日何度も電話して「早く韓国に帰って来て」と言いながら心配して、韓国に帰らなければならないか、どうすればいいか、毎日悩みの連続でした。
日本へ来るために3年間とても悩んで、日本へ来て日本の生活を楽しむことができるようになったのに。韓国へ帰らなければならないというのがとても悔しくて惜しくて、韓国で心配してくれる知人たちと両親には、「時間が経ったら日本の状況がよくなるかも知れないから、日本でもうちょっと状況を見守る事にしました」と伝えました。
一人で悩み過ぎて、結論が出なくてとても落ち込みました。
ある時、Nさんに 「憂鬱な時はどうすればいいでしょうか? 」と聞きました。Nさんは「どうして憂鬱なの? 彼氏がいないから? 」と(笑)。 Nさんのその言葉に私はとても笑いました。「違いますよ」と答えたら、今度はNさんが「家族が会いたいから? 」と言いました。 本当に私の心を読まれているようでハッとしました。私は「はい、どうすればおいでしょうか? 私、韓国に帰ってもいいですか? 」と聞いたら、Nさんが「それでは私が寂しいよ」と答えて下さいました。
落ち込んでいる時は、入居者さんと話してみると、予想できない返答にビックリし、楽しくなります。誰にもできなかった悩みを入居者さんたちにはできました。私は入居者さんたちに頼っているようです。入居者さんたちに精神的に多くの助けを受けながら、日本の生活に適応していってます。こんなに温かい人々と会えて、本当に幸せだと思います。
例え国籍は違い、お互いに話す事を全て理解することはできないのですが、心と心は通じるということを感じることができました。
3ヶ月間ぶなの実で働きながら、一日一日があっという間に過ぎました。私にこんな機会を得たことに感謝して、これからもぶなの実で入居者さんと一緒に毎日毎日楽しい経験ができたらと思います。
日本に関心がなかったら、日本へ来なかったら、この会社を見つけて履歴書を送らなかったら、皆様とのご縁はなかったでしょう。
偶然なのか必然なのか、ぶなの実で仕事をするように、大切な人々に会えました。
1年という短い期間、ぶなの実で大切な思い出をたくさん作って韓国に帰りたいです。そして、日本で仕事ができるよう手続きをして今後も日本で働けたらと思っています。
そのことがはっきりするまで、今日も明日も、いつも頑張ります。
これからもよろしくお願いいたします。

15:48 | Posted by admin

【心を癒すもの】   ぶなの実1F 鈴木(佳)

2011年06月03日 | ぶなの実::ぶなの実1F

これを書いている時点で、震災から二ヶ月経ちました。四月末から精神的にも少し落ち着いてきた…かな。
旦那の実家は宮城県です。母親と連絡が取れない日々が続き心ここにあらずでした。無事だったものの続く余震で、自宅でもホームでの夜勤中も、テレビも消さずに過ごす日々が続いていました。
「出先で地震がきたら、、、」という恐怖にかられ、仕事以外、外出もせず引きこもる日々。
「く~さ~る~~!」…完全に腐ってました。腐敗デス。
さすがに「こりゃ、いかん!」と気づき、四月末に代々木公園なう。自然とお友達に。
するとどうでしょう!震災などなかったかのように公園を満喫している「人!人!人!」…「? そんなものなのか?」と、テンション下がる。
でもね、一ヶ月以上ぶりの外出。人の波にのまれて下がっている場合ぢゃ、ないっ!
反撃!
ってわけで、ワインを二本弱空け、気づけば辺りは真っ暗。「肌寒い=風邪」オフコース。
だけど大人の特権、昼間から公園で青空酒場。友達も合流。ぽっかり空いた心はワインで満たされ(笑)癒される。
この日を境に外に出始め、ワイン片手に次の週も代々木公園なう。
ふと気づく…「自然の驚異に恐怖していたのに、その自然に癒される」なんとも理不尽な。
ところが、一人でいても癒されないわけですよ!旦那がいて、友達がいるから私は癒されるのです。自然と人とコミュニケーションをとる事が、私にとっては癒しにつながる。
音楽とワイン(笑)があればなおさら。
心と体を癒す時間がなければダイレクトにひびく介護職。
休日は充実させないと。

15:47 | Posted by admin

【5月です。】   ぶなの実1F 木村

2011年05月03日 | ぶなの実::ぶなの実1F

白い桜から緑の葉桜に変わる季節。風が気持ちよく、葉と葉の間から漏れる日差しの揺れる影が、初夏を感じさせます。
テレビ番組も衣替えが済み落ち着いてきました。
テレビと言えば出演者。タレント、俳優、芸人、その他。
そんな中で気になるのが、消えていた芸人「ヒロシ」です。
モテそうなホストスタイルに身を包み、自身の日常や失敗談を自虐ネタにし、モテない男をアピール。矛盾してます。
「ヒロシです・・・僕のサドルがありません!!」と、私は「えっ!サドルがないの?」まっ、そんな状態、想像しますよね?
・・・大笑いです。
ネタ終わりに「ヒロシです・・・ヒロシです・・・ヒロシです・・・」と、切なく消えていく声。その頃になかったキャラでブレイクしたのですが、波に乗っている途中で船から落ちてしまい、消えていきました。
それが最近、ちょくちょくテレビで観る事が多くなり、以前勤めていた会社を退職する時に「ヒロシ」のDVDをプレゼントされた事を思い出しました。
改めて「ヒロシ」が売れなくなってしまった時期を乗り越えて、芸人を続けていたんだな~と、ちょっと嬉しかったり、このままリベンジ出来るかと思ったり。
芸を仕事にしている人は自分で幕を閉じない限り、ほとんど引退がありません。でも全ての人にも引退はないと思います。仕事を引退しても人生が残っています。
ここの入居者さんも今、人生という仕事を毎日しています。
その仕事が楽しいものでありますように・・・

15:47 | Posted by admin

【心と脳の不思議】   ぶなの実3F 西村

2011年05月03日 | ぶなの実::ぶなの実3F

私のケアスタッフとしての始まりは、デイサービスの認知症フロア勤務でした。
そこは個性豊かというよりは個性全開の場で、ご利用者に楽しんで頂かなくてはならないのに我々スタッフが楽しませて頂いたというか、驚きと感動の日々でした。
その中で、Tエさんは町内の婦人部長を長年務め、明るくお茶目で褒め上手な83歳でしたが、かなりすすんだ認知症であり暴力行為がありました。
食事介助の際はスタッフと正面を向き互いの膝と膝を合わせて座り、Tエさんの意味不明な話しを傾聴しながら素早くスプーンで食物を口へ運び、私が少しでも目線を逸らそうものなら、Tエさんから蹴りが入ります。これが痛い!、すごぉ~い力です。
入浴もこれしかり、一人のスタッフがTエさんの両手をにぎり、もう一人が蹴られぬように避けながら身体を洗うのですが、この時ほど運動神経が悪くなく良かったと思ったことはありません。そんなTエさんも時々他のご利用者やスタッフを褒める事があり、私には「お姉ちゃんキレイ、ほっぺがツヤツヤ、ピンクでキレイ」と。顔ではなく肌を褒めるところがニクイ! 見るところは見ているのです。
ある時、テーブルの上に置いていた女性週刊誌の数ある見出しから〔恨み〕〔怨念〕という字を指差し「うらみ」「おんねん」と読み上げ、「いやだねぇ~」と発言。歌集の中のひらがなは音読しなかったのに、こんな難しい漢字を読むなんて驚きでした。
数あるエピソードで深く印象に残っていることがありました。それはある昼食後のことです。皆さんと少し離れた場所で、男性利用者のAさんと仲良く会話をしていたのです。
Aさん 「いや~、だからね」「こういうことだとねぇ」「ねぇ~」
Tエさん「そう、そう」「あなたの言う通り」「ホント!」「ホント、そう」と、内容の無い話しなのですが、愛想笑いまでして相手に合わせ、優しく相手を気遣う発言をしていたのです。ご自分の子供の顔や名前を忘れても人を気遣う心を忘れていないことに、人間の心と脳の不思議さを思わずにはいられない出来事でした。
そしてここ、ぶなの実においても感動の日々は続いています。(そのお話しはまたいつか)

15:47 | Posted by admin

【「3月のぶなの実」】   ぶなの実1F 佐藤

2011年04月03日 | ぶなの実::ぶなの実1F

「よっぱらったふ~りし~てかっぱらったよ~♪」
「ほら、歌ってないでこっち手伝って!あなたも大きな皿を持って来て」
「はい、何でも言いつけて下さいね。これはこれ!あれはあれ!って言われないと出来ませんから!
何でこんな馬鹿になっちゃったんだろぅ~!この馬鹿女!!」
「あら、あなた、そんな風に自分の頭を叩いちゃダメじゃない!あなたは馬鹿なんかじゃないわよ。ね、魚の火を見ていて頂戴」
「はんにゃ~は~ら~は~だ~、ほっかいど~は、さーむーい~♪」
と、般若心経の替え歌を歌いながらRさんは食器を出します。
ぶなの実Bユニットでは、当たり前の調理の光景ではありますが、こうしてそれぞれに何らかの役割があり協力して仕事をしている事というのは、やはり元気でいる事に繋がるのだなと実感しています。
以前の僕ならば、老後は身の周りの事は全て他人にやってもらい、好きな時に起きてワンカップ大関片手に近所の公園をフラフラするような爺さんになりたいと思っていましたが、今は年をとってもある程度の仕事をしたいな、と思っております。
Sさんは毎日の家事を「こんなのは仕事じゃないわよ」なんて、頼もしい事を言います。ならば、仕事というのはどういう事なのかな、とちょっと考えてみました。
一般的に仕事と言えば職業について報酬としてお給料をもらう事、というイメージかと思いますが、金銭が発生しなくても無償の仕事としてボランティアや家事があります。そういった活動も本当に無償なのかと言うと、そういうわけではなく、知識であったり感謝をされる事であったり満足感や達成感であったりとお金ではない、人それぞれの何かを得ている筈です。仕事というのは、何かを得られる(生み出す)生産的な活動の事だと推測します。
仕事をしないと、これらの何も得られなくなってしまうという事になりますので、それは、とても怖い状態だと思います。だから僕は年をとっても、ある程度は自分なりの仕事をしていたいなと思い、ぶなの実の入居者の元気の秘訣を少しだけ、教えて頂けました。
余談ですが、グループホームの仕事も、「お金だけでは得られない報酬」の要素が強いかと思います。
実際にお給料は安いですし、その上で毎日一生懸命に働き夜勤もやるなんて超人にしか出来ない所業です。
しかもそれを何年も続けていく事は本当に至難の技、達人の域とも言えます。同時に尊い事でもあると思います。
スタッフそれぞれに、この仕事を続ける理由を見つけて貰えればなと思いますし、私も一緒に探していければと思っています。
じゃあ私は見つけたのかと言うと、まだまだ途中ですが、先日、Rさんが般若心経の替え歌を唱えると、Tさんも負けじと、何やらお経を唱え始め「あら、あなたお上手ねぇ。ふふふ」と、お互いのお経を称え合う光景が何とも可笑しくて、まだやめようと思わないなぁと漠然と考えていました。何て事の無い理由で恐縮ですが。
3月のぶなの実Bユニットにはお経ブームの波がきています。

15:46 | Posted by admin