log

【「3月のぶなの実」】   ぶなの実1F 佐藤

2011年04月03日 | ぶなの実::ぶなの実1F

「よっぱらったふ~りし~てかっぱらったよ~♪」
「ほら、歌ってないでこっち手伝って!あなたも大きな皿を持って来て」
「はい、何でも言いつけて下さいね。これはこれ!あれはあれ!って言われないと出来ませんから!
何でこんな馬鹿になっちゃったんだろぅ~!この馬鹿女!!」
「あら、あなた、そんな風に自分の頭を叩いちゃダメじゃない!あなたは馬鹿なんかじゃないわよ。ね、魚の火を見ていて頂戴」
「はんにゃ~は~ら~は~だ~、ほっかいど~は、さーむーい~♪」
と、般若心経の替え歌を歌いながらRさんは食器を出します。
ぶなの実Bユニットでは、当たり前の調理の光景ではありますが、こうしてそれぞれに何らかの役割があり協力して仕事をしている事というのは、やはり元気でいる事に繋がるのだなと実感しています。
以前の僕ならば、老後は身の周りの事は全て他人にやってもらい、好きな時に起きてワンカップ大関片手に近所の公園をフラフラするような爺さんになりたいと思っていましたが、今は年をとってもある程度の仕事をしたいな、と思っております。
Sさんは毎日の家事を「こんなのは仕事じゃないわよ」なんて、頼もしい事を言います。ならば、仕事というのはどういう事なのかな、とちょっと考えてみました。
一般的に仕事と言えば職業について報酬としてお給料をもらう事、というイメージかと思いますが、金銭が発生しなくても無償の仕事としてボランティアや家事があります。そういった活動も本当に無償なのかと言うと、そういうわけではなく、知識であったり感謝をされる事であったり満足感や達成感であったりとお金ではない、人それぞれの何かを得ている筈です。仕事というのは、何かを得られる(生み出す)生産的な活動の事だと推測します。
仕事をしないと、これらの何も得られなくなってしまうという事になりますので、それは、とても怖い状態だと思います。だから僕は年をとっても、ある程度は自分なりの仕事をしていたいなと思い、ぶなの実の入居者の元気の秘訣を少しだけ、教えて頂けました。
余談ですが、グループホームの仕事も、「お金だけでは得られない報酬」の要素が強いかと思います。
実際にお給料は安いですし、その上で毎日一生懸命に働き夜勤もやるなんて超人にしか出来ない所業です。
しかもそれを何年も続けていく事は本当に至難の技、達人の域とも言えます。同時に尊い事でもあると思います。
スタッフそれぞれに、この仕事を続ける理由を見つけて貰えればなと思いますし、私も一緒に探していければと思っています。
じゃあ私は見つけたのかと言うと、まだまだ途中ですが、先日、Rさんが般若心経の替え歌を唱えると、Tさんも負けじと、何やらお経を唱え始め「あら、あなたお上手ねぇ。ふふふ」と、お互いのお経を称え合う光景が何とも可笑しくて、まだやめようと思わないなぁと漠然と考えていました。何て事の無い理由で恐縮ですが。
3月のぶなの実Bユニットにはお経ブームの波がきています。

15:46 | Posted by admin

【皆さん、お元気でおられますでしょうか?】   ぶなの実3F 大和田

2011年04月03日 | ぶなの実::ぶなの実3F

3/11未曾有の東日本大震災が起こりました。入居者様やそのご家族様、スタッフやそのご家族様、身内に被災地のご家族様がおられる方、無事だったでしょうか?本当に、身も凍るような出来事でした。
でも未だに、家族と再会出来ない方や、行方不明者も多数いて、心が痛む想いです。幸い、ぶなの実の入居者様は無事で私もホッとしています。ですが、一週間経過した現在も未だに余震も続いており被爆の危険性もあり、恐怖と不安な日々が続いています。
地震後のある日、Sさんが私に言いました。
朝食時、「私だけこんなにお腹一杯食べて、被災地の皆さんは何も食べられないのに…いいのかしら…」と、涙を流しながら召し上がっていました。今までに当たり前の様にあった、食べ物もあり、水もあり、電気も通い何不自由のない生活があった事の意味を、改めて深く思い知りました。「守るべき者があると、人は強くなる」今、日本中の人が助け合って、一生懸命に生きていこうとしています。現在のぶなの実もそう、皆力を合わせて頑張っています。
3/14にAさんの誕生日会が中止になった分も、実現された日には最高の1日にしたいと思っています。
この記事が皆さんに読まれる頃には、日本中の方々が、1日も早く安心して生活できる様に、この想いがいつかきっと笑顔に繋がります様に、祈っています。

15:46 | Posted by admin

【ラジオの効能】   つげの実アパート 礒田

2011年04月03日 | つげの実アパート

はじめに、東北地方太平洋沖地震により、お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈り申し上げますと共に、被害を受けられた皆さまに心からお見舞いを申し上げます。
この紙面がお手元に届いている頃は、それぞれどのような状況でしょうか?
私は少し前にラジオ生活に切り替えたおかげで(?)被害状況の映像はほとんど目にしていません。状況を把握するのに少し不安もありましたが、ラジオから流れてくる内容に映像では味わえない安堵感がありました。
ラジオ番組も震災後1週間は特別放送をしていたのですが、音楽を通して被災地への支援や精神的なエールを届けることに必死で、リスナーがメールなどですぐに反応でき“作り手と聞き手の一体感”を感じました。
『何か自分にできること』を比較的若い人たちが一生懸命に考えている内容は、聞いていてエネルギーとなりました。
日々状況が変化していく中、私たちは何かの判断を迫られているような気がします。
生と死を考え、節電でわかったこと…こんなに今まで無駄に電気を消費していた…その電気のために危険が伴っていたこと…それらを他人に任せてきたこと…交錯する情報過多…この国の対応…いろんな問題が凝縮しているようです。
『知らない』ことをあらためて『知った』次に それぞれが何を選択するか?で、未来が変わるのではないでしょうか。少し落ち着きを戻した頃…それからが大切だと思っています。
最後に、被災地の子ども向けにラジオから連日流れていた歌の一節です。
~なんのために生まれて なにをして生きるのか こたえられないなんて そんなのはいやだ!~
この歌を3歳の子どもが一生懸命今日も歌っています…

15:15 | Posted by admin