年甲斐もなくといってはなんなのだけれど、生け花を習い始め、4年近く経過している。そもそも根が粗野な人間なものだから、芸事の一つもたしなめば、人付き合いも変わるかと思いはじめたのだけれど、最初は、お稽古にもいけたりいけなかったりの状態でかなり怪しいお弟子の一人だったのです。ところが続けていくと何かしら力にはなっていくもので、先生に「素質がある」などと煽(おだ)てられ、お弟子さん達にも「男の人の生け花は楽しみよ」などとちやほやされているうちに、凝(こ)りだしてきたんですね。
今年の2月1日から5日にかけては、ついに花展に出瓶することとなったのでした。この花展というのは、川越市民文化祭の一環で、毎年2月の初頭に行われ、川越市で活動している華道と茶道の各流派が、地域で一番の老舗の丸広百貨店の催事場に一堂に会して、市民のみなさんに日ごろの腕前を披露するという取り組みです。5日間で一万人くらいのお客さんが来てくれるという大変賑々(にぎにぎ)しいものです。
先生に出瓶を勧められるまでに、散々おだてられて持ち上げられていますから、安請け合いもはなはだしかったんですが、実は、出展予定の生け花の設(しつら)えの構想だけは、ずいぶん前からあったんですが、先生のほうもそれを見越してのことだったようです。
その構想というのは、今をさかのぼること3年半前から始まります。
アパートの隣にある大家さんの庭に、細切れになった木の根っこが沢山おいてありました。何やら気になるので、話を聞くと、58年間育てた柘植(つげ)の木の虫食い状態がひどくなり、ついに面倒を見切れないということで、切り倒してしまったということでした。根っこの細切れは、燃えるごみに出してしまうためだとか。柘植の木というのは、木工の材料としては硬くて貴重なのでいただくことにしました。何かに使えないかなーと思いながら、実家に運び込んでおき、暇を見計らって、泥を洗い落として、虫食い状態のところを削り込み、よく乾燥させるとなかなかよい表情が出てきました。
試しに何の気なしに、組み立ててみたのが、上の作品です(第一作、2004年11月)。虫食いの表情の面白さに助けられていますが、まあ、かろうじて立っているといった感じですね。これを人に見せて感想を聞くと、「だれでもピカソ」みたいだね、などと言われて、面白さを感じてくれる人もいたんです。4ヶ月ががかりですべての材料を、削り込みしたんですが、それなら、全部の材料を余すことなく組み立ててみようと思い、それが、次の作品に繋がっていくんです。それと、細かい根っこの切れ端が沢山あったので、これを利用できないかと思い、大きな部材の間に細かい根っこの切れ端を挟みこむことを発想しました。
そうすると、材料同士の関係が、構成されてきました。細かい根っこも生きてきたように思います(第二作、2005年09月25日)。早速写真を先生に見せると「縄文時代の火焔土器のようだね」と感想をいただきました。「そうか」と思い、以前に購入していた火焔土器のレプリカを引っ張り出し、このイメージを追及してみることにしました。ただし、今までのつっかえ棒で材料を支えて、その上に材料を乗っけているだけの造形方法では、どうしても不安定で、力強さが無いんですね。かといって、釘を打ちつけて固定してしまうと、運搬ができなくなることと、ばらばらにしてしまっておくことができなくなってしまうんです。できれば、釘は一本も使わないで組み立てたいという気持ちがあったんです。それで、次の作品では、一計を案じることとしました。内部に鉄の支柱をたてて、そこからワイヤーで、左右の大きな材料を引っ張って起たせる構想です。支柱を起たせるんですから、当然その支柱を固定する土台も必要になります。古道具屋とくず鉄屋に行って、材料になりそうなものを見繕ってきました。
丸い鉄板に穴をあけたあと、かつて中国の上海で買ってきた、タップとダイスという道具でネジをつくり、鉄棒の支柱をねじ込めるようにしました。ホームセンターでワイヤーやヒートンといった小物の金具も購入し、左右から中心部に引っ張る工夫もなんとかなりました。
そうしてできたのが、第三作です(2006年10月12日)。足元のつっかえ棒がとれて、すっきり立ち上がったのと、幅と高さのバランスもよくなってきています。
上部の部材が、燃え上がるような勢いを醸してきています。下部のぎゅっと圧縮された細かい根っこと外殻が、上部の燃え立つ勢いを効果的に引き出しているんですね。ここまでくると、一種類の材料で活(い)ける「一種生(い)け」の作品の原型としては、ほぼ完成していると思います。早速先生に見せると、「60センチの大きな皿を載せたらどうか」というアドバイスを頂きました。「重量的にはどのくらいのものでしょうか」と聞くと、「器(うつわ)と水と花材(かざい)で20~30kgくらいにはなるだろう」ということでした。このままでは、とてもそんな重さには耐え切れないということで、更に工夫を重ねることとしました。まず、支柱の太さを4倍にして、4箇所の大きな部材をワイヤーで引っ張る構造にすることとしました。段々と細工が増えてきましたが、完成形態では、そうした工夫がみえないようにするのが、ミソです。一見したところ、どうやって起っているのかが分からないようにするんですね。下の二つの写真が、第四作の向けた試作品です。かなりアクロバティックな方法になってきているんですが、それが、視覚効果を生んできます。
果たして、60センチの大皿が載るのかどうかということで、伸ばしたスケールが60センチの状態で上に載っています。中においてみた水盤は40センチの大きさですから何とかなりそうな感じになってきました。
さて、この状態で組み上げたのが、第四作(写真左下2005年10月20日)です。
お行儀がよかった第三作にくらべて、大分暴(あば)れ始めてきました。構造的な余裕が余力として、表層の表現に働きかけたということです。いろいろいじってみると微細な表現にも作者の感じ方にも敏感
さが出てきます。この余裕が、表現の多様に繋がってくるわけです。
例えば、造形的にしっかりしていれば、上のような第五作(2006年8月10日)に、展開してくるわけです。箱舟のような花器が、根っこの山に突き刺さっているように見えます。なかなか大胆な力強さを生んでいると思います。
どんどんよくなっていますでしょう?つまり出瓶を春に勧められて、夏までに、ここまで準備できていたんですが、これらはあくまで設えの範囲でして、どんな花を生けるかはきまっていなかったんですよね。それと、花器と水と花の重量に比して、細工が十分な強度ではないことが、分かってきたんです。
花展ではお客さんが見ている開場時間中は、作者といえども直したりしてはいけないことになっていますから、傾いたりすると大恥かいてしまいます。そもそも傾いてしまうような構造的な問題は、一時間や二時間手直ししても修正がききません。
という訳で、更に補強することとにしました。ワイヤーと根っこを繋いでいるヒートンという金具の耐荷重強度を2倍のものに交換して、釘を使わないという当初の方針を断腸の思いで変更し、五寸釘を一本打ち込みました。これでもか、これでもかという感じですね。結局60センチの大皿は載せなかったんですが、試作を続けていくうちに、どんどんよくなっていくんですね。でも造っている最中は、あまり集中しすぎて、気が狂いそうになることもありました。
写真上は、2月3日の生け替えを挟んで、後期に出瓶した作品で、とても気に入っています。火焔土器というモチーフを生かしたイメージどおりのものに仕上がりました。といっても、3日の当日に生ける花は決めたりするんです。花器を稽古場であさったり、先生の自宅に庭木から椿の花を切ったりして完成にこぎつけたんです。題して、『火焔樹』です。「火焔土器」を作った縄文人の、大胆かつ計算しつくされた感性を再現してみたかったんです。全体的なバランスも絶妙ですし、大味な材料にもかかわらず人情味のある風情に仕上がっています。水面に浮かんでいるのは、椿の花です。水面に映っている根っこの影が、花器の透明感に陰影を出しています。大変好評を博して、「ロダンの『群像』のようだ」という感想や、「まさに男の生け花」というご意見まであり、会場に特異な雰囲気を放っていたようです。但し、これだけ時間かかったということは、或いは、これが最初で最後の花展への出展なのかも知れません。
2007年3月19日 佐久間朋祐