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【だからあなたも生きぬいて】   ぶなの実A 山田

2012年11月30日 | ぶなの実::ぶなの実A

大平光代さんの生き方の本です。
私は、この本にであい元気をもらいました。
私もいつか、大きな人間になり、大好きな山田洋二監督に私の行き方を映画を作ってもらいたいのが夢です。

08:50 | Posted by admin

【東京で国内旅行】   ぶなの実A 井口

2012年06月23日 | ぶなの実::ぶなの実A

今回初めてなので何を書こうか悩みましたが旅行が好きで以前国内添乗員をしていたこともありお勧めの観光地でも書こうと思いましたが旅行会社で行く観光地では珍しくもないので、旅行にあまり行けなくなってから出かけるようになったアンテナショップのことを書こうと思います。
東京には45都道府県(広島と岡山は撤退しました)のアンテナショップがあります。
東京なのに東京のアンテナショップ(小笠原など離島)もあります。
特に銀座周辺、有楽町の交通会館を中心に北海道、大阪、沖縄など23道府県のアンテナショップがあります。沖縄だと国産の島バナナやブルーシールアイスなど現地の物が食べられます。交通会館では地下にある和歌山だと南部の梅干が安く買えたり、向かいの富山だと1日2種類10個ですが地元で有名で駅弁大会に来ない鱒の寿司が買えたりします。
銀座以外にも品川プリンス横にある秋田では比内地鶏の鍋や新橋にある鹿児島では黒豚のしゃぶしゃぶ、揚げたてのさつま揚げ、新宿にある宮崎では夏に美味しい冷汁などがお店の中で専門店に比べてですがお安く食べられます。
特にお勧めはぶなの実から都バスで10分池袋のサンシャイン通り入口にある宮城のアンテナショップです。この中には牛タンで有名な仙台の伊達の牛タンが支店を出していて、ランチでは数量限定ですが1000円以下で牛タン定食が食べれてご飯もおかわりできます。
その他にも数量限定で牛タンの芯のやわらかいところだけ使った定食やタンシチューなどもあります。
牛タン以外にも直売では不定期ですが仙台銘菓の萩の月の販売もあります。
なかなか時間とお金をかけられない方は東京で国内旅行してみてはいかがですか?故郷の懐かしい味や地方の新しい味に出会えると思いますよ。

08:54 | Posted by admin

【「来たるべきとき、来たるべきひと」…迎えるときの言葉について…】   ぶなの実A 佐久間 

2012年05月10日 | ぶなの実::ぶなの実A

人ごみの中にいる未知の人からはじめて発せられた言葉が、「あなたが来るのはわかっていました」というものだったら、誰でも驚かされるだろう。面識もないながら、遠いとき(=ひさしぶり)のように、ずいぶん遠いところからのように、その言葉が感じられた。
最寄りの駅に、鈴(りん)を鳴らしながら、駅頭にたつ雲水すがたの男性だ。托鉢に小銭を入れたことへの返礼なのだろうその言葉を、あたまのなかで繰り返しながら、「そんなはずはなかろうが」とおもったしばしあとに「もしや…」と思った。托鉢への布施という「偶然」へと関心を向けたつもりの行動は、「全く『自分ひとりの気分』でそうしたかった」といいたいという、その自分でも気づいていない自分のこころをすでに見透したように、「既知のものだ」と置き換えられたわけだ。
禅問答ならば、「疑問=問い」への対極にある「然り(しかり)」という「応答」か。
だが、よい言葉だと思った。そして、今のこころに遠くてもっとも近い言葉だ。

今になって理解できたのだが、前回の「どっこいしょ」では、お年寄りが、グループホームに迎えられた側としての、入居を理解していただくこころのイメージを、言葉に表すとどのように考えるか?という妄想と思い込みを記述した。
今回は、それと対照的に位置するもので、グループホームに迎える側としてのスタッフの、こころをイメージした場合を、言葉で表すとどのように考えるか?という妄想と思い込みを記述したいと思った。というのは、利用者にかける言葉が、「認知症を患っており、生活を営むのに支障があり、何らかの支援や介護が必要な状態にある」から「ここにいるのですよ。私たちと出会ったのですよ」という説明であってもいいのであるが、それではこれまでの経験上、こころに届いて「はい。そうなんですか」とはいかないからだ。むしろ「じゃあ、わたしはダメなんですね」となる。
言うまでもなく。グループホームに入居されるお年寄りは、家族や地域の知人側から見れば、面倒が見られなくなったり心配が絶えない状況にある。本人の側もなんだか思ったことが実行できなくて困ったり、社会とのつながりが急速に少なくなったり、関わるひとがどんどん元気がなくなり困惑した目になり、やがて縁遠くなったり、親しかったそのひとに叱られたりといった、訳のわからない嫌なことやトラブルが日常的になっている。お年寄りは、すでにかなり心理的にダメージを受けているのである。そのうえで、全く知らないホームの人達と、知らない場所で、暮らし始めるのである。ここだけみると、入居で、更なるパンチでW(ダブル)のダメージを受けかねない。が、そうならないようにするのが私たちスタッフの腕の見せ所なのだ。

そこで、冒頭の言葉「あなたが来るのはわかっていました」が生きてくる。言葉を敷衍(ふえん)すると、「ここでは心配することないですよ」「あなたのようなひとが来てくれてよかった」「ちょうどいいときに来たね」というところからの言葉である。そこのところを最大に表現すべきだ。これは、真実の言葉だ。例えば、認知症ではないピンシャンしたお年寄りが、毎日きて泊っていったら私たちスタッフは、本当に困ってしまう。三日くらいは、いい顔しても、一週間後は、顔が引きつるほど困惑してしまう。「家族が心配していますよ」などと、認知症のお年寄りには決して言わない言葉を言ってしまうか、さもなくば、「ここに長くいる人は皆面接試験受けて合格しています。あなたも試験を受けていただきます」などと意地悪を言うかもしれない。
入居すると、認知症のお年寄りは、いままでどんどん失っていくものばかりに追い詰められていたのだが、ここでは得るものは少ないかもしれないが確かにあり、失い続けるばかりではない。何より、来ても「待ってました」とばかり歓迎されることがわかる。そのことは約束だ。私だって、そのような言葉は、言われるたびに少し元気が出てくるだろうし言われたいのだが、なかなか言ってもらえない。
 
利用者の不安な気持ちをどっぷりと湛(たた)え、関わるひとびとの気持ちが移り変わっていくように、沢山の気持ちを湛えた水鏡のように、静かなそっけない言葉で、この出会いが偶然ではない結びつきを持っていることを「確り(しっかり)」と「然り(しかり)」と伝え、感じていただけるようにしたいものである。

08:55 | Posted by admin

【「ついに花展に出瓶」……大分以前の文章ですが、お読みいただければ幸いです】   ぶなの実A 佐久間

2012年05月01日 | ぶなの実::ぶなの実A

年甲斐もなくといってはなんなのだけれど、生け花を習い始め、4年近く経過している。そもそも根が粗野な人間なものだから、芸事の一つもたしなめば、人付き合いも変わるかと思いはじめたのだけれど、最初は、お稽古にもいけたりいけなかったりの状態でかなり怪しいお弟子の一人だったのです。ところが続けていくと何かしら力にはなっていくもので、先生に「素質がある」などと煽(おだ)てられ、お弟子さん達にも「男の人の生け花は楽しみよ」などとちやほやされているうちに、凝(こ)りだしてきたんですね。
今年の2月1日から5日にかけては、ついに花展に出瓶することとなったのでした。この花展というのは、川越市民文化祭の一環で、毎年2月の初頭に行われ、川越市で活動している華道と茶道の各流派が、地域で一番の老舗の丸広百貨店の催事場に一堂に会して、市民のみなさんに日ごろの腕前を披露するという取り組みです。5日間で一万人くらいのお客さんが来てくれるという大変賑々(にぎにぎ)しいものです。
先生に出瓶を勧められるまでに、散々おだてられて持ち上げられていますから、安請け合いもはなはだしかったんですが、実は、出展予定の生け花の設(しつら)えの構想だけは、ずいぶん前からあったんですが、先生のほうもそれを見越してのことだったようです。
その構想というのは、今をさかのぼること3年半前から始まります。
アパートの隣にある大家さんの庭に、細切れになった木の根っこが沢山おいてありました。何やら気になるので、話を聞くと、58年間育てた柘植(つげ)の木の虫食い状態がひどくなり、ついに面倒を見切れないということで、切り倒してしまったということでした。根っこの細切れは、燃えるごみに出してしまうためだとか。柘植の木というのは、木工の材料としては硬くて貴重なのでいただくことにしました。何かに使えないかなーと思いながら、実家に運び込んでおき、暇を見計らって、泥を洗い落として、虫食い状態のところを削り込み、よく乾燥させるとなかなかよい表情が出てきました。

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試しに何の気なしに、組み立ててみたのが、上の作品です(第一作、2004年11月)。虫食いの表情の面白さに助けられていますが、まあ、かろうじて立っているといった感じですね。これを人に見せて感想を聞くと、「だれでもピカソ」みたいだね、などと言われて、面白さを感じてくれる人もいたんです。4ヶ月ががかりですべての材料を、削り込みしたんですが、それなら、全部の材料を余すことなく組み立ててみようと思い、それが、次の作品に繋がっていくんです。それと、細かい根っこの切れ端が沢山あったので、これを利用できないかと思い、大きな部材の間に細かい根っこの切れ端を挟みこむことを発想しました。
そうすると、材料同士の関係が、構成されてきました。細かい根っこも生きてきたように思います(第二作、2005年09月25日)。早速写真を先生に見せると「縄文時代の火焔土器のようだね」と感想をいただきました。「そうか」と思い、以前に購入していた火焔土器のレプリカを引っ張り出し、このイメージを追及してみることにしました。ただし、今までのつっかえ棒で材料を支えて、その上に材料を乗っけているだけの造形方法では、どうしても不安定で、力強さが無いんですね。かといって、釘を打ちつけて固定してしまうと、運搬ができなくなることと、ばらばらにしてしまっておくことができなくなってしまうんです。できれば、釘は一本も使わないで組み立てたいという気持ちがあったんです。それで、次の作品では、一計を案じることとしました。内部に鉄の支柱をたてて、そこからワイヤーで、左右の大きな材料を引っ張って起たせる構想です。支柱を起たせるんですから、当然その支柱を固定する土台も必要になります。古道具屋とくず鉄屋に行って、材料になりそうなものを見繕ってきました。

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丸い鉄板に穴をあけたあと、かつて中国の上海で買ってきた、タップとダイスという道具でネジをつくり、鉄棒の支柱をねじ込めるようにしました。ホームセンターでワイヤーやヒートンといった小物の金具も購入し、左右から中心部に引っ張る工夫もなんとかなりました。
そうしてできたのが、第三作です(2006年10月12日)。足元のつっかえ棒がとれて、すっきり立ち上がったのと、幅と高さのバランスもよくなってきています。
上部の部材が、燃え上がるような勢いを醸してきています。下部のぎゅっと圧縮された細かい根っこと外殻が、上部の燃え立つ勢いを効果的に引き出しているんですね。ここまでくると、一種類の材料で活(い)ける「一種生(い)け」の作品の原型としては、ほぼ完成していると思います。早速先生に見せると、「60センチの大きな皿を載せたらどうか」というアドバイスを頂きました。「重量的にはどのくらいのものでしょうか」と聞くと、「器(うつわ)と水と花材(かざい)で20~30kgくらいにはなるだろう」ということでした。このままでは、とてもそんな重さには耐え切れないということで、更に工夫を重ねることとしました。まず、支柱の太さを4倍にして、4箇所の大きな部材をワイヤーで引っ張る構造にすることとしました。段々と細工が増えてきましたが、完成形態では、そうした工夫がみえないようにするのが、ミソです。一見したところ、どうやって起っているのかが分からないようにするんですね。下の二つの写真が、第四作の向けた試作品です。かなりアクロバティックな方法になってきているんですが、それが、視覚効果を生んできます。

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果たして、60センチの大皿が載るのかどうかということで、伸ばしたスケールが60センチの状態で上に載っています。中においてみた水盤は40センチの大きさですから何とかなりそうな感じになってきました。
さて、この状態で組み上げたのが、第四作(写真左下2005年10月20日)です。
お行儀がよかった第三作にくらべて、大分暴(あば)れ始めてきました。構造的な余裕が余力として、表層の表現に働きかけたということです。いろいろいじってみると微細な表現にも作者の感じ方にも敏感
さが出てきます。この余裕が、表現の多様に繋がってくるわけです。

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例えば、造形的にしっかりしていれば、上のような第五作(2006年8月10日)に、展開してくるわけです。箱舟のような花器が、根っこの山に突き刺さっているように見えます。なかなか大胆な力強さを生んでいると思います。
どんどんよくなっていますでしょう?つまり出瓶を春に勧められて、夏までに、ここまで準備できていたんですが、これらはあくまで設えの範囲でして、どんな花を生けるかはきまっていなかったんですよね。それと、花器と水と花の重量に比して、細工が十分な強度ではないことが、分かってきたんです。
花展ではお客さんが見ている開場時間中は、作者といえども直したりしてはいけないことになっていますから、傾いたりすると大恥かいてしまいます。そもそも傾いてしまうような構造的な問題は、一時間や二時間手直ししても修正がききません。
という訳で、更に補強することとにしました。ワイヤーと根っこを繋いでいるヒートンという金具の耐荷重強度を2倍のものに交換して、釘を使わないという当初の方針を断腸の思いで変更し、五寸釘を一本打ち込みました。これでもか、これでもかという感じですね。結局60センチの大皿は載せなかったんですが、試作を続けていくうちに、どんどんよくなっていくんですね。でも造っている最中は、あまり集中しすぎて、気が狂いそうになることもありました。

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写真上は、2月3日の生け替えを挟んで、後期に出瓶した作品で、とても気に入っています。火焔土器というモチーフを生かしたイメージどおりのものに仕上がりました。といっても、3日の当日に生ける花は決めたりするんです。花器を稽古場であさったり、先生の自宅に庭木から椿の花を切ったりして完成にこぎつけたんです。題して、『火焔樹』です。「火焔土器」を作った縄文人の、大胆かつ計算しつくされた感性を再現してみたかったんです。全体的なバランスも絶妙ですし、大味な材料にもかかわらず人情味のある風情に仕上がっています。水面に浮かんでいるのは、椿の花です。水面に映っている根っこの影が、花器の透明感に陰影を出しています。大変好評を博して、「ロダンの『群像』のようだ」という感想や、「まさに男の生け花」というご意見まであり、会場に特異な雰囲気を放っていたようです。但し、これだけ時間かかったということは、或いは、これが最初で最後の花展への出展なのかも知れません。
2007年3月19日   佐久間朋祐

08:55 | Posted by admin

【fun】   ぶなの実A 森川

2012年02月29日 | ぶなの実::ぶなの実A

こんにちわ。ぶなの実の森川です。
先日のぶなの実運営推進会議ではお伝えしましたが、5月15日に、(有)自在が主催するイベントを企画しています。
それは、説明するのが難しいのですが、音楽やショーや、トークなどで、人と人とが一緒に笑顔になれる空間を作ろうというイベントです。

日頃入居者さんと私たちがぶなの実の中や外で楽しいと感じている生活を、もっともっといろんな方に知ってもらおう、という想いも強く込めています。

プロのミュージシャンの演奏や、大道芸などの芸人さんに加え、
東京でグループホームを初めて作った和田行男さんと弊社の林田のトークなど、ジャンルを越えた出演者になります(森川もこっそりピアノで参加致します)。
恐らく、こんなイベントは東京では初めてではないでしょうか?
ぜひ、ご来場お待ちしております。
ぶなの実からの実行委員は、現在のところ、森川と佐藤と鈴木佳代子です。

09:09 | Posted by admin

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