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【有する能力】   ぶなの実3F 井口

2011年11月03日 | ぶなの実::ぶなの実3F

こんにちは、ぶなの実Aユニットの井口です。ぶなの実のFさんの事を紹介させていただきます。
Fさんは、今年の7月から体調不良で1ヶ月ほど入院して体重が10キロ以上やせて入歯も入れられず食事を口から摂ることも出来ず寝たきりの状態で退院されました。
私がFさんと会ったのは退院した2日後でした。
他のスタッフには、「かなり出来ないことが多くて知らないと言われたスタッフもいた」と聞かされました。
でもお昼寝をしているFさんの様子を見に行ったときに、私に気付いて第一声が「ご飯まだなの」でした。そのあとも「美味しいもの食べさせてよ」「ここでは、ご飯だけが楽しみなの」と入居当時に一緒に料理していて私は料理を作る人というイメージがあるようです。
でも実際には、トロミをつけて水分摂取したり、料理はミキサーにかけて細かくして見た目も悪く美味しくないとがっかりさせていました。
数日たち目の前でホットプレートで焼きそばを作り、取り分けてミキサーにかけていると、置いていた菜箸でホットプレートから焼きそばを食べ始めました。
すぐに気が付きましたが嚥下を上手く出来たことから、そのまま食べていただきました。
それから1ヶ月、段階を踏みながら皆で意見を交換し見極めながら、今では普通に食事が出来ています。
林田代表からは病院では個々に対応できないことも多く、やらないことが増えて退院後には能力がかなり落ちてくることはあることだ。
でも元の環境に戻り退院前の生活環境を思い出しながら、ご自身で今までしていた生活を作り出すことが出来るのがグループホームの良いところだと仰っていました。
もちろんご自身の努力もすごいですが、声をかけ、一緒に過ごす他の入居者様やスタッフがいて1つの形になるのかなと考えます。
まだまだ未熟ですが、これからもFさんが出来ることが増えるようにお手伝いしたいと思います。
現在のFさんは排泄チューブをつけていますが、スタッフが協力することで掴まり立ちや伝い歩きが出来るようになりました。

15:52 | Posted by admin

【―弱気に、「グループホームは、ホントは、いいところなのか?」と考える―】   ぶなの実3F 佐久間

2011年10月03日 | ぶなの実::ぶなの実3F

僕らは、日々ホームを良いものにしようとし、利用者のためになることとは何かを考えているのだけれど、だからと言って、利用者が「ここにきてよかった」と思っているかどうかは別の問題だ。弱気になるようなことを書いてしまう。
よく考えてみると、利用者のほとんどが見学とか体験入居もなく、どんなスタッフが世話をしてくれるのか?とか知らずに、入ってくる。中には、「行けば分かると言われた」といって不本意ながら入居したとおっしゃる方もいる。そうしたときは、利用者の頭の中では「人さらいにあっているということである。だからときに、「家に帰りたい」とか、「家族にほったらかされている」とか訴えたり、「確かずーっとここにいる、何かおかしいと怒ったりすることのほうが、より僕たちの一般的・平均的な感覚に近い。そもそも、自分の家でもないところで、毎日「お泊り」していることのほうが「すごい」のだ。もっというと、グループホームに入居してずっと暮らしているお年寄り達はもうそれだけで大したものだと思うのだ。長く暮らしているとどのような心境なのだろうか?
僕は弱気になり、グループホームに入居されたことをどのように思っているか?という質問を或る利用者にした。
久しぶりにのんびり家に勤務することがあったので、親しい間がらのHさん(確か入居6年目くらい)に聞いてみた。
●質問①「Hさんは、以前のぼろぼろアパートののんびり家と、今のきれいなのんびり家と、どっちがよかった?」
(のんびり家は、2年ほど前に古い木造家屋から、同じ文京区内のとてもデラックスでピカピカな物件に移転しました)
回答①「前のは前のでよかったから、どちらがいいとはいちがいには言えないよ」
●質問②「ひとりで暮らしていたころと比較して、のんびり家にきてよかったと思う?」
回答②「そりゃ、のんびり家にきてよかったと思う。ひとりだと寂しいから」
●質問③「もっと早くにのんびり家に来れた方が良かったと思う?」
僕は、「うん。早く来ればよかったよ」という世の中を達観した仏さまのような、元気づけてくれる答えを予想し、ちょっと期待してもいた。ところが答えは意外だった。
回答③「ううん。早く来ればよかったとは思わない。頃あいってものがあるんだよ」
ずーん、ときた。この答えは、スタッフをぬか喜びさせるでもなく、さりとて、がっかりさせるでもなく、楽館的に考えると「住めば都」という言葉もあるし、そういうことかな。いや、いや、それよりももっと奥が深いぞ。
ちょっと以前は高齢者の施設で、「ここには、毎日夢いっぱいの楽しい生活が待っています(はやくいらっしゃい)」みたいな歌い文句や宣伝があったりしたけど、それとは、まったく
対極なスタンスだよな。つまり、ほんの少しの夢とか、ちょっと気持ちが穏やかになる楽しみとかがあるなんていうのは、なかなか売り文句にも宣伝にもならないくらい当たり前な訳なんだな。ラッキーな期待を一杯にして来てがっかりされるよりは、「施設に入れられるなんて」と、少し覚悟して入居しながらも、「思っていたほど悪いところじゃないじゃんか。お兄ちゃん(お姉ちゃんでもよい)が面倒みさせてくれ、居てくれというから、その顔をたててもう少し居てやったるか」くらいに利用者に思ってもらえる、そういう場所であり続けることは大事だよな、と考えて妙に力が抜けた。
思うに、グループホームが、めくるめく魔法的な世界の連続とか、スタッフのアクロバティックな技とか発想とか、に依っているのではなくて、利用者のとても小さな力にこそ大きく依っているのだということを思ったりもして、私を弱気にさせた頭の中の霞(かすみ)が少し晴れた。

15:51 | Posted by admin

僕がぶなの実で働き始めてもうすぐ1年です。前回どっこいしょを書いた時よりはだいぶグループホームについて理解できたような気がします。この約一年間入居者の皆様を見てきて、1人1人の出来る能力の違いや、出来ない事、好きな事に、嫌いな事など、その人がどんな風な人生を歩んできたのかを考えてみたりして日々過ごしています。

2011年09月03日 | ぶなの実::ぶなの実3F

ある日、ぶなの実で「軍隊式」とIさんが口にしました。「私は軍隊しか知りませんから、喝を入れなきゃいけない時にはもう・・・恐いですよ」。Iさんは何を怒っているか。「○○さん(入居者さん)が最近寝てばかりで△△さん(職員)の言う事を全然聞かないんです。だから、喝を入れて・・・。昔の軍隊式と言ったら、ビンタなんてものは当たり前ですよ」それから深呼吸して困った顔をしました。「私は軍隊式でやってきましたから、つい、こう、カーっとなってしまうのです。それがもう、自分でも嫌で嫌で・・・」。私は「軍隊式って恐いのですね」と正直な感想を言いました。Iさんは私の目を見て、「いやでもね、軍隊ってのは愛があるんですよ。日本で戦争が始まる前のビンタってのはただ痛いだけでした。恐いだけでした。でも、戦争が始まってからのビンタというのは、愛があったんです。戦場で、味方同士が生きるか死ぬか、ドンパチやってるんです。そんなところで、暴力を振るってたら死んじゃいますよ。どうしても、相手に、味方に、わかってほしい時に、ビンタをして喝を入れるんです。愛があるんです」。
私はふと学生の頃を思い出しました。中学の頃、とっても恐い体育の先生がいました。春になると体育祭で組体操をやらされます。「お前ら、この組体操で失敗したら怪我をするんだ。転んで怪我をするんじゃない。俺からハンドマイクを投げつけられて怪我をするんだ」。今考えてみると、とんでもない話です。もちろん何人も、転んだり倒れたり、何度も失敗。しかし、いつになってもハンドマイクは飛んできませんでした。それどころか先生は「頑張れ」と励まします。私はIさんの「軍隊式」の話を聞いた時に、この組体操のことが何となくわかった気がしました。マイクを投げつけるというのは大嘘で、「組体操は危険だから、集中してやらないと怪我するぞ」ということを、その先生なりに考えて、そんな言い方になったのではないでしょうか。中学生くらいでは、「集中しないと怪我するぞ」なんて言われてもふざけてしまう生徒もいるでしょう。だから、「マイクを投げつける」とわざと恐く、おどかすように言ったのではないかと、合点がいきました(真相はわかりませんが)。
何が愛なのか、何が平和なのか、どちらにしても軍隊式というのは、私にとっては未知のもので、話を聞けば聞くほど、興味深くなります。
「それでIさん、本当にビンタするんですか?」私が笑いながら聞くと、「いやぁ、こんな時代にビンタしたら怒られちゃいますよ」とIさんも笑うのでした。

15:50 | Posted by admin

【入居者さんからの一言】   ぶなの実3F 畑山

2011年08月03日 | ぶなの実::ぶなの実3F

3月11日のあの日は一生忘れる事できません。
東日本大震災!!とても恐怖を感じて涙ぐみながら身体を震わせている自分がいました。
その日は出勤で入居者さん9入をスタッフ2人で見守りをしていました。
Tさんは4階のお部屋で静養中でした。Yさんは4階のお部屋にいました。Sさん、Nさんは3階のお部屋で横になって寝ていました。そのほか5名は3階のリビングで座っていました。スタッフ2名はリビングにいて徐々に大きくなる揺れに怯えていました。
入居者さんに物が落ちないようにとか、不安にさせないようにとかを考えすぎ、目から涙が溢れそうでした。
食器棚から食器が飛び出しそうだし、自分は食器棚が倒れて来ないように半分腰を抜かしながら押さえてました。
無我夢中になっている時に入居者さんから言われた一言「大丈夫だから落ちついて。」
すごく嬉しく思わず抱きついてしまいました。
入居者さんを守るつもりが、私自信が皆に支えられました。
今でもIさんは私に「あの地震の日は手の色が真っ青になっているくらい必死で食器棚を押さえていたのがたいしたもんだなあと思ったよ。皆を守ろうとしたのがすごいよ。」と言われます。
あの日はすごく怖かったけど皆無事で本当によかったと思います。私は入居者さんからたくさん学んだり助けてもらったりして日々自分自身成長しています。

15:49 | Posted by admin

【新人】   ぶなの実3F 小原

2011年07月03日 | ぶなの実::ぶなの実3F

はじめまして、4月より入社しました新人の小原です。
私は介護の仕事の経験が無く入りましたので、全く右も左もわからずまだまだ暗中模索をしているところです。
前職は直接人と関わる仕事ではなかった為、日々、人と関わり合う事は嬉しくもあり、難しさを感じるところでもあります。
先日利用者のFさんが「仕事にはもう慣れた?」と声をかけて下さいました。自分が思っている以上に気を遣って頂いているのだなと思う瞬間でした。
最近仕事をしていて思うのは客観的な事実が正しいとは限らないという事です。
例えばある人が、「今日は出かけた」「さっき、おやつを食べた」と言っていて、実は本当は逆の事(出かけていない・食べていない)でも、その人がそう思っているなら、それがその人にとって事実になり得ます。
これは僕が一人で考えていてもわからず、その人が思っている事情を私に信頼して話して頂けたらわかります。いつまでも話してもらえなかったら、そのままで終ってしまいます。
私が入ってからずっと車椅子の生活だったNさんが、最近ついに手すりに掴まりながら歩いていました。
ジャガイモの皮を剥くようになりました。
人の回復力をみて、感嘆の声をもらしました。しかしながら思うことがあります。もしかしたらとっくに歩ける様になっていたのかも…と。
人は一人一人考え方は違います。相手が思っていることを自分は勝手に別の解釈で思い込んでいる部分があるかもしれません。考えても正しい結論はその人にしかありませんが、それは何であるか考え続けその人の必要である事実を捉えていきたいと考えております。
これからよろしくお願い致します。

15:48 | Posted by admin

【日本に来てよかった。】   ぶなの実3F ジョン

2011年06月03日 | ぶなの実::ぶなの実3F

こんにちは。 韓国から参りました。ジョンジンジュと申します。 名字がジョン、名前がジンジュです。
高校の時から日本のドラマやショープログラムを見ながら日本に関心を持つようになりました。その関心がますます大きくなって日本で住みながら新しい経験をしたくて、ワーキングホリデービザを取って現在日本で生活しています。(ワーキングホリデービザは1年間日本で働きながら日本文化体験ができるビザです)
韓国の大学で社会福祉を専攻して私の専攻に役に立つ事をしたいと考えて、日本で社会福祉の方で仕事を探し始めました。日本へ来て、3ヶ月以内に仕事を探すことができなければ、そのまま韓国に帰ると心に決めていた2ヶ月目にぶなの実に採用されて、ぶなの実の家族になりました。それから、3ヶ月が経ちました。
会社でも外国人の採用は初めてだったそうで、日本語が上手じゃない外国人である私を採用してくれたということに本当にありがたいとともに、日本語を上手にならなくてはいけないなという負担もあり、心配が大きかったです。
日本語がうまく出来ないのに入居者さんと意思疎通が果してよくできるか・・・。 職員さんたちとの意思疎通はどのようにするか・・・。私が今、しっかり話しているのか・・・。 私の話が相手によく伝わっているのか・・・。自分自身の日本語の実力に対して心配がたくさんありました。
しかし、優しい入居者さんたちと職員さんたちのおかげで少しずつ適応している最中です。
意思伝逹においてよくできなくて息苦しくてその心をIさんに見せたことがありました。
Iさんに 「私の日本語、おかしいですか?私が日本語で話せば相手が分かってくれません」と言ったら、Iさんは「全然おかしくない。自信を持って話して! 私は日本語が上手だと考えながら上手な振りをして!相手がよく聞き分けなければあなたが韓国語勉強しなさいと言って!」とアドバイスして下さいました。真剣に相談に乗って下さったIさんの話に大きな勇気と励ましを受けました。
最初の頃は、私に「あなた誰? 」と入居者さんが聞いていましたが、今は「あなた韓国人?」と私の存在を覚えて下さり、「ジョンちゃん」と親しく呼んで下さる入居者さんもいらっしゃって楽しく仕事をしています。
日本に大震災があった後、一緒に暮していたルームメイトや日本に住んでいた韓国人の友達が全員、韓国に帰ってしまい、私は一人になってしまいました。
韓国にいる両親と友達は毎日何度も電話して「早く韓国に帰って来て」と言いながら心配して、韓国に帰らなければならないか、どうすればいいか、毎日悩みの連続でした。
日本へ来るために3年間とても悩んで、日本へ来て日本の生活を楽しむことができるようになったのに。韓国へ帰らなければならないというのがとても悔しくて惜しくて、韓国で心配してくれる知人たちと両親には、「時間が経ったら日本の状況がよくなるかも知れないから、日本でもうちょっと状況を見守る事にしました」と伝えました。
一人で悩み過ぎて、結論が出なくてとても落ち込みました。
ある時、Nさんに 「憂鬱な時はどうすればいいでしょうか? 」と聞きました。Nさんは「どうして憂鬱なの? 彼氏がいないから? 」と(笑)。 Nさんのその言葉に私はとても笑いました。「違いますよ」と答えたら、今度はNさんが「家族が会いたいから? 」と言いました。 本当に私の心を読まれているようでハッとしました。私は「はい、どうすればおいでしょうか? 私、韓国に帰ってもいいですか? 」と聞いたら、Nさんが「それでは私が寂しいよ」と答えて下さいました。
落ち込んでいる時は、入居者さんと話してみると、予想できない返答にビックリし、楽しくなります。誰にもできなかった悩みを入居者さんたちにはできました。私は入居者さんたちに頼っているようです。入居者さんたちに精神的に多くの助けを受けながら、日本の生活に適応していってます。こんなに温かい人々と会えて、本当に幸せだと思います。
例え国籍は違い、お互いに話す事を全て理解することはできないのですが、心と心は通じるということを感じることができました。
3ヶ月間ぶなの実で働きながら、一日一日があっという間に過ぎました。私にこんな機会を得たことに感謝して、これからもぶなの実で入居者さんと一緒に毎日毎日楽しい経験ができたらと思います。
日本に関心がなかったら、日本へ来なかったら、この会社を見つけて履歴書を送らなかったら、皆様とのご縁はなかったでしょう。
偶然なのか必然なのか、ぶなの実で仕事をするように、大切な人々に会えました。
1年という短い期間、ぶなの実で大切な思い出をたくさん作って韓国に帰りたいです。そして、日本で仕事ができるよう手続きをして今後も日本で働けたらと思っています。
そのことがはっきりするまで、今日も明日も、いつも頑張ります。
これからもよろしくお願いいたします。

15:48 | Posted by admin

【心と脳の不思議】   ぶなの実3F 西村

2011年05月03日 | ぶなの実::ぶなの実3F

私のケアスタッフとしての始まりは、デイサービスの認知症フロア勤務でした。
そこは個性豊かというよりは個性全開の場で、ご利用者に楽しんで頂かなくてはならないのに我々スタッフが楽しませて頂いたというか、驚きと感動の日々でした。
その中で、Tエさんは町内の婦人部長を長年務め、明るくお茶目で褒め上手な83歳でしたが、かなりすすんだ認知症であり暴力行為がありました。
食事介助の際はスタッフと正面を向き互いの膝と膝を合わせて座り、Tエさんの意味不明な話しを傾聴しながら素早くスプーンで食物を口へ運び、私が少しでも目線を逸らそうものなら、Tエさんから蹴りが入ります。これが痛い!、すごぉ~い力です。
入浴もこれしかり、一人のスタッフがTエさんの両手をにぎり、もう一人が蹴られぬように避けながら身体を洗うのですが、この時ほど運動神経が悪くなく良かったと思ったことはありません。そんなTエさんも時々他のご利用者やスタッフを褒める事があり、私には「お姉ちゃんキレイ、ほっぺがツヤツヤ、ピンクでキレイ」と。顔ではなく肌を褒めるところがニクイ! 見るところは見ているのです。
ある時、テーブルの上に置いていた女性週刊誌の数ある見出しから〔恨み〕〔怨念〕という字を指差し「うらみ」「おんねん」と読み上げ、「いやだねぇ~」と発言。歌集の中のひらがなは音読しなかったのに、こんな難しい漢字を読むなんて驚きでした。
数あるエピソードで深く印象に残っていることがありました。それはある昼食後のことです。皆さんと少し離れた場所で、男性利用者のAさんと仲良く会話をしていたのです。
Aさん 「いや~、だからね」「こういうことだとねぇ」「ねぇ~」
Tエさん「そう、そう」「あなたの言う通り」「ホント!」「ホント、そう」と、内容の無い話しなのですが、愛想笑いまでして相手に合わせ、優しく相手を気遣う発言をしていたのです。ご自分の子供の顔や名前を忘れても人を気遣う心を忘れていないことに、人間の心と脳の不思議さを思わずにはいられない出来事でした。
そしてここ、ぶなの実においても感動の日々は続いています。(そのお話しはまたいつか)

15:47 | Posted by admin

【皆さん、お元気でおられますでしょうか?】   ぶなの実3F 大和田

2011年04月03日 | ぶなの実::ぶなの実3F

3/11未曾有の東日本大震災が起こりました。入居者様やそのご家族様、スタッフやそのご家族様、身内に被災地のご家族様がおられる方、無事だったでしょうか?本当に、身も凍るような出来事でした。
でも未だに、家族と再会出来ない方や、行方不明者も多数いて、心が痛む想いです。幸い、ぶなの実の入居者様は無事で私もホッとしています。ですが、一週間経過した現在も未だに余震も続いており被爆の危険性もあり、恐怖と不安な日々が続いています。
地震後のある日、Sさんが私に言いました。
朝食時、「私だけこんなにお腹一杯食べて、被災地の皆さんは何も食べられないのに…いいのかしら…」と、涙を流しながら召し上がっていました。今までに当たり前の様にあった、食べ物もあり、水もあり、電気も通い何不自由のない生活があった事の意味を、改めて深く思い知りました。「守るべき者があると、人は強くなる」今、日本中の人が助け合って、一生懸命に生きていこうとしています。現在のぶなの実もそう、皆力を合わせて頑張っています。
3/14にAさんの誕生日会が中止になった分も、実現された日には最高の1日にしたいと思っています。
この記事が皆さんに読まれる頃には、日本中の方々が、1日も早く安心して生活できる様に、この想いがいつかきっと笑顔に繋がります様に、祈っています。

15:46 | Posted by admin

【新しい年をぶなの実で迎えました】   ぶなの実3F 井口

2011年03月03日 | ぶなの実::ぶなの実3F

昨年の4月にぶなの実に来て初めての年越しです。以前は旅行会社に勤めていて、大晦日はディズニーバスツアーを担当していましたから、たくさんのカップルに囲まれてカウントダウンパーティーに参加しました。
といっても、ディズニーランドの中には入らず、広い駐車場で男ばかり・・・スーツで心まで寒く迎えていました。
でも今年は違いました。ぶなの実、大晦日の夜勤は井口でした。入居者さんと年忘れの演歌のテレビを見ながら年越し蕎麦を食べていました。大晦日は皆さん夜更かしされるかと思い、遅番の森川さんといろいろ計画していましたが、いつものように夜の8時頃には、皆さんお休みになられました(笑)。
普段と変らないと思っていましたが遠くで除夜の鐘が聞こえてくる頃、入居者さんのお部屋でガサゴソと物音がしました。何名かは起きていたようです。
年が明けるとお部屋から出てこられ「あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。」と挨拶して下さいました。その中でも一番最初に挨拶して下さったOさんは、普段は朝までぐっすり寝ている方なので、ビックリしました。でも挨拶を済ますと、その後はぐっすり、普段どうりでした。
入居者さんが今年も・・・とご挨拶して下さいましたが、毎年皆さんと同じようにご挨拶が出来ればいいなと思いました。まだまだ未熟ですが一生懸命頑張りますので、よろしくお願いします。
写真ですが、先日大阪へ行き、帰りの途中で撮った富士山です。
小さく左側に龍が昇るように見える雲が一緒に写っていました。新年にきみさんちから「縁起物」と昇り竜のような写真のメールが全事業所に送られて話題になっていて、私も見つけましたのでついつい写メしました。
余談ですが、ディズニーのカウントダウンチケットは、7月頃から往復はがきで申し込みが始まり、抽選ですから競争率が高いです。でも、元旦のチケットは、夜中の2時から22時まで遊べますからお
得です。
夜中は風が冷たいので寒さ対策をして遊んで下さい。
入居者さんからも希望があれば、いつかディズニーランドへ行ってみたいです。

15:45 | Posted by admin

【春の風景】   ぶなの実3F 佐久間

2011年02月03日 | ぶなの実::ぶなの実3F

年も明けて、寒さこそ例年なみですが、穏やかな朝が多く続いています。
今回は、文体をかえて古風を装い、現在の心境を気分よくつらつらと書いてみました。今ひとつ、とりとめもまとまりもないのですが、笑って読んでやってください。

「春の風景
――心象の庭にあそぶ――
陽光うららかにして細く輝き
清風そよふけば幽けく儚し
照曜いまだ中天の途なり
孤雲ゆりゆきて暫しを憩う

身の程にて満つるを嗤うなかれ
思いめぐりても誰が懐するところ
おもむろに愛書を手繰れば
わずかに追うも微睡みのなか

身を任かせるは毛氈のぬくもり
夢には蝋梅の盛り花
地には玉砂利の響き
遠くは啼鳥の呼び声

壮志死灰につかずとも
紅蓮のひと咲きに逡るもあり
刻も経ずして身を凍えさせれば
よくぞ知る冬の葬いのいまだしを

傍らには一杯の茶のふるまい
添えられるは一菜のもてなし
一口の暖を謝して啜れば
更に惜しんで掌にて碗を玩ぶ

縁なくもおとなうこと幾度か
翁の庭のたたずまいは旧きまま
暗夜に知らしめよと若し乞わば
一花照らひて今ぞ顕われよ

氷雪老木を研ぎたれば
一枝に命脈は微かなり
萎お枯れて星霜のにちにちに
敢えて叢の塵埃をまとうもよし

左々右々のおもんばかりも
ようようとして移ろい果つれば
ただただ祈りてこの春と戯れん
ついつい若芽も梢にふきほころべと
(2011.01.23 箸棒斎記す)

15:43 | Posted by admin