log

【ことば】   ぶなの実1F 吉田

2011年08月03日 | ぶなの実::ぶなの実1F

こんにちは、ぶなの実の吉田です。
最近色々と「ことば」について考えることが多いので、今回はこれについて書いてみたいと思います。
言葉とは人間の持っている伝達技法の代表ですが、これが厄介なものでして、真意が伝わらなかったり、誤解を与えたり、相手を傷つけたりと、暴力の道具にもなってしまうんですよね。
しかも、こういう言葉は無意識で言っていることが多く、発言した本人は発言自体も忘れていることが多いです。
私がぶなの実で働き始めてから、誰かにたいして酷いことを言ったという自覚があるのは、たったの一回、そして酷いことを言われたと感じたのも一回だけです。
先日、ある同僚に「あの時の言葉に対して蟠りがある」と言うようなことを打ち明けられました。
打ち明けられた内容は自分の意図していることとは全く違った誤解だったのですが、このことで同僚は、数日間モヤモヤしてしまったわけです。30分ほど話し合って解決したのですが、こういったことは皆さんも経験あると思います。
自分に自覚のない言葉の暴力…これがやっかいなんですね…
そういえば、自覚している一回についても謝ってないことを思い出しました。
そして、酷いことを言われたと自覚していることについては、相手に伝えてもいません。後者に関しては、働き始めた当初のことで今更言っても覚えていないでしょうから、このまましまっておこうと思っていますが、前者については謝っておかんとなぁと思います。
そしてこれは、日ごろの入居者さんへの支援中の言葉も同様です。入居者の方は、翌日や数時間後には覚えていないかもしれません。でも言われた瞬間は確実に傷ついたり、疑問を持ったりしているはずです。そんなことに気をつけながら、日々ことばを選んでいかなくてはなぁと思った今日この頃でした。

15:49 | Posted by admin

【入居者さんからの一言】   ぶなの実3F 畑山

2011年08月03日 | ぶなの実::ぶなの実3F

3月11日のあの日は一生忘れる事できません。
東日本大震災!!とても恐怖を感じて涙ぐみながら身体を震わせている自分がいました。
その日は出勤で入居者さん9入をスタッフ2人で見守りをしていました。
Tさんは4階のお部屋で静養中でした。Yさんは4階のお部屋にいました。Sさん、Nさんは3階のお部屋で横になって寝ていました。そのほか5名は3階のリビングで座っていました。スタッフ2名はリビングにいて徐々に大きくなる揺れに怯えていました。
入居者さんに物が落ちないようにとか、不安にさせないようにとかを考えすぎ、目から涙が溢れそうでした。
食器棚から食器が飛び出しそうだし、自分は食器棚が倒れて来ないように半分腰を抜かしながら押さえてました。
無我夢中になっている時に入居者さんから言われた一言「大丈夫だから落ちついて。」
すごく嬉しく思わず抱きついてしまいました。
入居者さんを守るつもりが、私自信が皆に支えられました。
今でもIさんは私に「あの地震の日は手の色が真っ青になっているくらい必死で食器棚を押さえていたのがたいしたもんだなあと思ったよ。皆を守ろうとしたのがすごいよ。」と言われます。
あの日はすごく怖かったけど皆無事で本当によかったと思います。私は入居者さんからたくさん学んだり助けてもらったりして日々自分自身成長しています。

15:49 | Posted by admin

【持続可能な社会をめざして・・・】   つげの実アパート 礒田

2011年08月03日 | つげの実アパート

「痴呆」という表現が侮蔑的であるとのことから「認知症」といわれるようになったのが2004年。私は「認知症」という日本語自体が不思議な感じがしていました。最近では「認知症」という言葉は 何かと認知したがる私たち支援する側に当てはまる言葉ではないかと苦笑してしまいます。ついでにいうと「認知症介護」という言葉や「認知症対応型グループホーム」というものは将来的にはなくなるべきだと私は思っています(笑) 認知症だからとか、病気だからとか区別なく助け合える社会を目指したい・・・そんなことを考えながらこの仕事をしてきました。
そして私の中で出た結論は、介護自体を問題とする見方では解決策はないということ。私たちの生き方全体の問題に繋がっていきました。まず、いのちの誕生からいえば病院で生むことの不自然さ。この時点でいのちの捉え方に歪みが生じているといえるのではないでしょうか?現在の画一的な教育や、繋がりのない閉鎖的な子育てという点も問題だと感じます。私たちの生活を支えている経済活動も問題だらけです。人間の限りない欲望が食の問題にも繋がり、便利さの追求や不自然なものの過剰な摂取で病気を自ら招いている結果、医療問題にも発展します。そして生活から死を遠ざけ、病院で死ななければいけないのはなぜでしょうか?私たちは自分の意思で「生きている」といえるのでしょうか・・・

こちらの法人では「今までそうだったから」で考えようとしないのは、入居者の方々を支えるにあたりプロ意識に欠けるとみなされます。普段、私たちが当たり前だと思われる行為に対しても「なぜそうするのか?それでいいのか?他に方法はないのか?」など、定義をスタッフが共有することで入居者の方々への支えに繋げていきました。
このプロセスを私たち自身の生活そのものへ意識を広げていく時代になっていると私は感じるのです。それは、私たち自身がいずれは老いて認知症になるからです。「これは仕事だから」と、自分自身と区別していると何も解決しないのではないか・・・私はずっと「自分がどういう社会で生きたいのか?」を入居者の皆さんに問われていたのです。

私は自分の都合のいいように生きていることが今回の原発問題で嫌というほど思い知らされました。このような問題は日本だけではありません、地球規模で叫ばれています。今から19年前に12歳の少女が国連の環境サミットで世界の首脳達を前に「どうやって直すのかわからないものを、こわしつづけるのは もうやめてください」と語った伝説のスピーチをご存知でしょうか。(パソコンがある方はぜひ「あなたが世界を変える日」と検索してみてください。動画でも見ることができます。)当時自分より年下の彼女が神々しく見えます。
私は今までなんと無知で生きていたということをたくさんの書物や長く生きている先輩方から学びました。それを少しずつ自分の中に取り入れようとチャレンジしています。そのひとつに環境問題にも繋がる肉食をやめることにしましたが、これを実行するのに3年を要しました。それほど自分を変えることの難しさを実感している弱い人間で
す。そんな弱い私ですが、家族を守ることと地球を守ることは同じではないかと子どもの未来を考えながら感じました。

人は例外なく母親から生まれ現在を生きています。私たちはどんな親ともわからないのに絶対的な信頼を持って親の腕の中で自分の存在を委ねていました。これは見方を変えれば精神的に達観した状態とも言えるのではないかと思うのです。
そして今現在、各人のそれぞれ流れていた時間は良いとか悪いでは判断できません。でも現時点から見方を変えることは可能です。過去や外側を裁くのではなく自分の現在を変えていくことにシフトしていきませんか?と提案したいのです。
そして想いを共有し、繋がっていきたいと考えています。 大切なことを一緒に考えていきたい方や教えてくださる方は連絡ください(笑)

最後に、今まで目を通していただきありがとうございました。偽善者が苦手な私がこんなことを書いているのはこちらの法人で過ごした時間のお陰だと思います。お会いしたことのない方々や法人内外問わず、皆様には大変お世話になり感謝しております。6年間こちらで学んだことを糧に新たなチャレンジをしたいと考えています。本当にありがとうございました。

15:16 | Posted by admin