こんにちは。寒い日が続きますが、いかがお過ごしでしょうか。この号がみなさまのお手元に届く頃には、新しい年、2012年になっていることと思います。
昨年は3・11大震災という悲しい出来事があり、原発事故の対応など、日本にとっては大きな転換を迫られる激動の年であったと思います。
とちの実では、6年間ほど生活されていた入居者様が亡くなられました。また個人的なことですが、自分の祖母が99歳の誕生日を2週間後に控え、亡くなりました。
人の死について、考えることの多い年でした。死は人間にとって平等に訪れるけれども、予期していたもの、心の準備のあったもの、一秒後の未来を考えていた矢先にやってくるもの、など様々で、そこは平等ではないと思う。災害や事故で命を奪われた方のこころの在りようを想像すると、無念という言葉が浮かぶ。
が、しかし、どうなのかわらかない。誰にも死が訪れるのなら、そしてどのように死ぬのかは誰にもわらかないのであるから、人はその時のことを考えるのではなく、今を生きればいいのかも知れない。それでも、災害や事故、戦争や貧困などが人の命を奪っていくのには、大きな虚しさを感じます。
人間って何なのだろう、何のためにこの世界にいるのかな。生きるってなんだろう、何のために生きるのかな。なんて考えたりするのです。
わたしは、40歳を前にして、未だにその辺のところが、よくわからないんだな。でも、何のためにという以前に、人が人間として日々の営みを繰り返していることに、とても魅力を感じるし、意義があるようにも思う。
ある日、テレビで見た、大震災で被災し、船も流されてしまった漁師の方の言葉がこころに残る。「自然の猛威には、こてんぱんにやられた。3月11日は負けた、ギブアップ。でも、その後は負けるわけにはいかないんだ」この言葉に、人間が本来持っている力強さをすごく感じる。いちどは、負けた。でも、その後は負けるわけにいかない。人間の、再生力を感じる。この、人間の生きる力、力強さに、おそらく死の虚無感は消えていくのだろう。
とちの実の入居者さんと接していると、このような思いを感じることが多い。人間の本当の力強さや、生きていく心構えであるとか、生活を営んでいくことのかけがえのなさとか。
今を生きていくという感覚が、こころの根っこになるように、日々生きていけたらいいなと思います。