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【次々と浮かんでくる「問い」】  とちの実 小此木

2025年12月17日 | とちの実

酷暑の夏が過ぎ、気がつけば夜間には澄んだ空気に秋の月と星々が目に映ります。入居者様も夏から冬への装いへと変化しております。私は「とちの実」に勤務をはじめてから半年のパートタイマーです。
就労を開始してから今までの期間は「問い」ばかりが浮かび上がっています(そして、それは今も続いております)。
その「問い」の一例としてですが、約2か月前にSさんが入居いたしました。Sさんは自分が「とちの実」に居る経緯や理由を質問されます。自分がここに居る理由を明確化できない不安があり、その不安に対する質問だと思います。その質問に対して言葉を介したコミュニケーションだけでなく、視線や表情を介したコミュニケーションを介すると不安が和らぐように感じられます(しかし、これはあくまでも主観であり実質的に不安が和らいでいるのかは不明です)。そこで言葉だけでない包括的なコミュニケーションを模索してみたりします。しかし包括的なコミュニケーションとはいえ、それはSさんにとっては事象への対処の断片的なものでしかないのかもしれません。それでもその断片的なものが繋がっていくことにより何かを形作っていくとしたら、その形作られたものが日々の暮らし(生活)になっていくのかもしれないと思ったりします。
またSさんに限らずに、入居者様の断片的な言葉や仕草から認知症に伴った認識や不安をどのように受容しようか考えます。すると「受容ってなんだろう」という問いが同時にたちあらわれます。受容とは字義通りにうけとれば、受け・容れるということです。その受け容れるということは受動的な行為だと思います。そこでグループホームの職員としての役割が自立支援に伴うものであるのならば、自立支援とは受動的な行為なのかなと考えたりします。
就労が終わり帰路の車中ではこのような考えが、浮かんでは消え浮かんでは消えてを繰り返します。
もし「問い」が入居者様との関係性を構築しようとすることから生まれるのであれば、「問い」は日々の暮らしの中で次々と浮かび上がっていくものかもしれません。それでも問い続けることを少しだけ楽しく感じています。

17:05 | Posted by jizai