少し古いデータになりますが、2014年にベルギーのルーヴェン・カトリック大学が学生233人を対象に感情の持続時間について調査を行いました。感情を27種類に分類し、それぞれの持続時間について、悲しみ120時間、憎しみ60時間、喜び35時間、不安24時間、安心感8時間、怒り2時間、苛立ち1.3時間・・・等といった結果を確認しています。
サンプルの人数は少ないですが、面白い研究だなと思いました。
私達は仕事上、入居者さん、仲間の職員といった沢山の人達の感情と向き合わないといけません。何より自分の感情とも、いやがうえでも向き合わされます。暴れ馬のような自分の感情をどうにか御(ぎょ)したいと、観察と探求を日々続けています。
さて、ここから先は私見になりますが、私達はその感情が持続している間、無意識的にその感情を維持するための出来事を探し続けるようです。
例えば、仕事で仲間と上手く連携がとれずに苛立ちを覚えたとしましょうか。すると、その苛立ちのキッカケは過ぎ去ったとしても、苛立った気持ちの残っているその1.3時間のあいだ、私達の心は苛立ちの種を他に探し続けます。それは例えば仕事を終えて電車に乗ったときに、ドアの前で陣取っている人に向けて再燃をするかもしれません。普段だったらそこまで気にならないはずなのに。
あるいは、技術的な未熟さから入居者さんと上手くコミュニケーションがとれずにイライラを募らせている職員がいたとしましょう。当人のイライラした心は、重箱の隅でもつつくかのように、そのイライラした心を更に刺激するための材料を探します。そして、「給料が安い!福利厚生が足りない!」といった方向に行き先を見い出すかもしれません。
悩ましいことに、こういったことに自分で気付ける人はなかなか存在しないようです。本人にそれを指摘しても普通は受け入れられません。ですから周囲の人が遠回しに気づかせてあげる必要があります。
さて、これが認知症状態の人だとまた話が少し変わってくるようです。
特定の感情を維持するための出来事を探すと同時に、出来事をご自分の記憶の中から新たに「創造」をなさることが見受けられます。
例えば、夕方になって「そろそろ家に帰らないと。でもどうやって帰ったらいいのか分からない」という不安な気持ちが現れたとしましょう。支援者の働きかけにより、帰宅することに関しての不安が一時的に解消をしたとしても、継続している不安な感情は、新たに不安の種を創造するかもしれません。例えば、「バッグに入れていたはずの財布がない」という困りごと(客観的にはお財布は最初から存在しない)として現れるかもしれません。
結局、こういった場面における支援のポイントは、本人が抱えている感情にどう向き合って対応するか、ということに帰着するわけです。
ですので、私としては相手が入居者さんでも、職員でも、自分自身でも、感情と出来事(あるいは感情と思考)は、ときに切り離したり、くっつけたりをしながら、それと向き合うように心がけています。
人間の心って奥が深なぁと、いつもいつも感じています。