先日、あるYouTubeを見ていたら、「その職業を選んだ理由は楽だから。」と話している人がいました。確かに、長時間働くことが良しとされた時代ではありませんし、私も長時間労働をただ行うことは反対です。
しかし、楽という概念を上位に挙げていくことは、少し立ち止まらなければならないかなと思うこともあります。
楽と言う言葉の中には、思考をしない。と言う要素も入ってきます。考えるということは、実は非常に疲れる行為であり、体力も必要とします。
人間は、他の動物と比較して大脳を進化してきました。その代償として大脳のエネルギー消費率は、他の器官よりとびぬけて大きなものになっています。つまり、燃費が悪いのです。
燃費が悪いということは、お腹が空きやすいのです。日本人が飢餓から脱却したのは戦後の話です。それに引き替え
飢餓は何万年も続いてきました。ですので、人間の脳は、お腹が空くことを避けるために必要でなければ考えることをしなくなるのです。
しかし、これからは考えずに済むということが世の中を大きく変える可能性があります。
AI(人工知能)の存在です。
せんだって、AIに関する二つの番組を見ました。一つは将棋の世界、もう一つは機械が故障した時の対応に関する話でした。
どちらとも、AIの対応は人間と同等もしくは人間以上の能力を発揮するようになっています。どちらのAIも当然自己学習能力がついています。それを開発した方々が話をされていたのですが、どのようなプロセスで、どのような考えで、実際の行動(将棋では指し手、故障の対応でしたら必要な物品の選択)を取ったのか、説明ができません。と言われていました。
つまり、人間が考えることをしなくても、AIが考え対応してくれる時代はそう遠くないのです。そしてその対応力は、すでに人間以上の能力を持ってきているのです。
そうしたら、楽(考えずに済む)を基準にしたら、そのほとんどをAI任せにしていくことになります。
私たちが、認知症対応型共同生活介護という事業に対し、「有する能力に応じた自立」を目的に2000年から方針転換をしたときに感じたことがあります。
考えなくてよい生活は、入居者さんたちにとって楽なのだと。しかし、自分で考えて行動することを奪われた入居者さんは、生きているのではなく、生かされているように見えます。
人間は、飢えと闘いながらもなお、考え行動し生き抜いてきました。それは、命をつなぐことであり、その対価として満腹の幸福感のほかに、達成感や協力する喜びを得てきたのだと思います。
AIが生活に入ってくることは避けがたいでしょう。しかし、自分で考え行動するということの重要さと喜びを決して忘れてはいけませんし、まして、自分が、支援者であるにもかかわらず、人が考え行動することを奪うことは許されません。
AIが一般化するなかで、本当の意味で人間らしい仕事というものは、私たちのような職業に残っていくのではないかと思っています。(林田)