「今日の昼食何にしようか?」今日も始まりました食事の相談。入居者さんの答えは決まっていて「なんでもいいよ。お前さんの言う通りに従うよ。文句は言わないよ。」それを聞いたもう一人の入居者さんは「なんでも良いひ」と仰ります。
困ったスタッフは料理本をパラパラと広げたり、冷蔵庫にある食材から何ができるか聞きだします。さらにそこから、入居者さんと一緒に食事作りを行うので焦っているのが見ていて良く分かります。
自分自身も経験してきていることなのですが、このような光景をみて「毎日、毎日同じように同じことを聞かれる入居者さんは『何でもいいよ』と仰るのは当然ではないか。」と思うことがあります。
「入居者さんの出来る事を支援をする。」というスタッフの思いと、ぶなの実で生活をされている入居者さんは毎日、スタッフが変わっても時間になれば同じ事を聞かれることの思いの隙間をどう埋めていくかがこの仕事の専門性のひとつではないかと思います。
「おなかが空いたからご飯が食べたい。」「時間になったからご飯を食べなくてはいけない。」「今はおなかが空いていないから食べたくない。」食事に対する思いや感じ方は人それぞれ、その日その時で違います。その時に「何が食べたい?」と唐突に聞かれれば自分でもきっと「何でもいい。」と答えるでしょう。
ぶなの実の入居者さんのFさんはスタッフに頼りにされると一緒に台所に立って下さるのですが、これは私の強いこだわりで「お手伝い」という言葉は極力使わない、状況に応じてですが指示的な言葉は使わない様に食事作りの支援を行っています。入居者さんが自分で決めた食事を作るのに「お手伝い」という言葉を使うのはそこでスタッフが食事作りについて主導権を握っていることになります。指示的な言葉も同様です。あくまでも入居者さんが主体なのです。
私はFさんが得意なこと、頼りにされるといつの間にかほとんどの食事作りを行うことが出来るなど、Fさんの『有する能力』をたくさん知ろうとしている最中です。この記事を書いている前日も、とある仕掛けをして自然な流れで一緒に食事作りをすることができました。Fさんを知っていれば誰でもできる支援です。えっ?どんなことをしたかって?
これはぶなの実のスタッフに気づいてもらいたいので内緒です。それに自分で気づくことが出来れば隙間を埋めることが出来るのではないかと考えています。