グループホームでの私たちの仕事は、入居者の方々を深く知っていく行為。
言葉の裏側にあるその人全体を見てゆく・・・
なぜ今立ち上がったのか?何を探しているのか?今日の精神状態ではこれができなかった。
今日は食べる量が少ないのはなぜか?お腹の張りはいつもと違うのか?そろそろ外へ出るかもしれない。この話は以前出てこなかったのに思い出している。新聞はどこまで読めているのか?テレビのどの話に反応しているか?この人には敬語を使うときがある。包丁で切るときの癖がある。指先の感度がいつもより鈍い。今日興奮して眠れないかもしれない。この人の目の前に広がる景色はどうなっているのだろう?どういう想いで生きてきたのだろう?・・・
深く知ろうとする過程で、自分の側面を発見することがある。
いわば、鏡として見せてくれる存在・・・
今、自分はなぜこの対応をしたのか?なぜこの人の言葉に反応してしまうのか?・・・
そして辿り着くのが、自分の中の『正しさ』という価値観。
その『正しさ』を通して人を裁いていることに気付く。
裁くことからでは解決しないと、体を張って伝えてくれる。
もしかすると、いのちをかけて訴えているのかもしれない。
グループホームでの私たちの仕事は、瞑想に似ている。