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【偉人、牧野富太郎氏に感動して】  2014,10,29  渡邉

2014年10月29日 | とちの実

日本の植物分類学の父、『牧野日本植物図鑑』を刊行され、名誉都民である「植物学者 牧野富太郎博士」が 練馬区大泉で、晩年から最期までを過ごされ 後世に永く伝え残す為に文化遺跡とし、邸宅を牧野記念庭園として公開されていることをご存知でしょうか?この記念庭園は 私の勤務するグループホームの最寄り駅(西武池袋線 大泉学園駅)から徒歩5分の場所にあります。

訪れたのは10月下旬でした 庭園の色は、さまざまな種類の草木が整えられまるで都会のオアシスのような空間がありました。女性一人や、2人ずれ、熟年夫婦のような方 計10人位がのんびり庭園ないを散歩したり ベンチに座ってお茶を飲んだりしていました。

なぜ介護職員の私が牧野富太郎氏に興味を持ち庭園たずねたかともうしますと、それは実に恥ずかしいことなのです。

私の故郷は、四国、高知です。1年半以上帰省していなかったのですが、10月の上旬に
数日休暇をいただき、ふるさとの家族と過ごすことが出来たのです。

初日は先祖の墓参り、次の一日は予定を立ててなかったのですが、、とても気持ちの良い秋晴れの天気にめぐまれ 家族と即決で、高知市内の中心部にある五台山(ごだいさん)へ行こうと直ぐに決まりました。

この五台山山頂は、ほぼ8割近く牧野植物園です。昭和33年に開園し、平成11年には拡張して記念館も新設、カフェも併設されいろんなイベントも開催されます。そして市内の中心部であり数十分で訪れることの出来る 人気のスポットでいまや高知の若いカップルが結婚記念の写真撮影の場所にするほど景色と眺めがよく 色とりどりの草花で埋め尽くされた憩いの場なのです。

お気づきかと思いますが、冒頭からお話をしております牧野博士のふるさとは私と同じ四国 高知なのです。それゆえに、私は幼少の頃からこの五台山=牧野植物園には遠足、行楽など数え切れないほど足を運んでいた場所です。

そのなかでも今回、家族と訪れ、いままでの中で一番ゆっくりと園内を見てまわり
スナップ写真を何枚も取り 改めて博士の業績に感動しながら家族と会話をしました。
年老いた親と一緒に過ごす時間、心の中でまたいつ一緒にこられるか?・・・思っていたのかもしれません。 そんな中、資料館で博士が晩年を東京都の練馬区大泉で過ごされた資料や写真を見たとき、驚いてしまいました。今まで散々訪れていながら記憶していなかったことにとても恥ずかしい気持ちになりましたが、なぜかとてもうれしい気持ちにもなり、東京に戻ったら庭園をたずねてみようと思ったのです。

灯台もとくらし・・・ではないですが、地元にいたときはいつでもまた来られるからと
あまり熱心にこの偉大な博士の事を知ろうとしてなかったのかと思うとはずかさもあり、残念な気持ちになりましたが 今、暮らしている直ぐ近くにもあると思うと救われた気持ちになりました。庭園は車椅子では散策しづらいですが自立歩行の出来る入居者さんを是非おつれして和んでいただけたらと思います。博士は、ご自身の大好きな植物の研究に没頭され、またその植物とご家族に囲まれ94歳の天寿を全うされました。そのパワーを少しでもわけてもらえたらうれしいです。

勝手にですが、何かの縁のようなものも感じており、博士は晩年からもこの大泉で
研究、観察を重ね長い年月を過ごされました。私も、上京して仕事をした年齢は決して若くないのですが、この土地で頑張って行こうと思えました。

たかが植物といえども膨大な種類が地球上にはあります。その概ねの植物の名前をつけたのがこの博士であり、何億枚とも言われる植物のスケッチはため息が出る程です。そしてその描写の見事な観察力、忠実にその植物を観察している様は本当に驚きます。
博士のようにはなれないですが、いろんなことをしっかり見つめることの大事さを学びました。
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16:30 | Posted by admin